2013. 4.25
  「初めまして


                                        副所長  伏見 淳

  本年4月1日よりセンターの一員となりました伏見 淳(ふしみ あつし)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

  初めて通勤する道すがら真正面に吾妻連峰を望み、ふと41年前のことが蘇った。
~~~
  原町市(現南相馬市原町区)から阿武隈山地を越えて福島市に転居し大学1年生となったが、4月の最初の体育では恒例の「信夫山」登り(1年生全員が一斉に大学の校庭から烏ヶ崎展望台まで道なきところを人家の庭も踏み越えながら駆け上がる。皆様毎年のことなので一緒に楽しんでおられた?)があった。
 登頂後に体育の教授からあった話が「あの吾妻連峰の残雪が消える頃、皆の楽しみな夏休みになる」と。眺めた吾妻小富士が頭に焼きついた~~~

  最近は地球温暖化が進み、もっと早い時期に残雪は消えると思うが、当時は6月末から7月初めまで残っていたのかな?
  毎日通勤しながら、日々変化をみせる周辺の景色を眺めているこの頃である。

  その4年後。
  昭和51年6月に運よく福島県に拾われて採用された。
  当時の研修は県庁西庁舎にあった職員研修所と相馬市にあった海浜青年の家で行われた。
  たぶん毎日緊張しながら講師のお話を拝聴していた?ので、あまり内容は覚えていない。ただ、総務部長講話で「採用後20年近くなる」とお聞きし、つい部長の年齢を頭で計算したことは覚えている。
  海浜青年の家では朝のラジオ体操とオリエンテーリングなるものに挑戦したことか。
  一番の思い出は、同期の面々と福島市内の居酒屋で研修の打ち上げを行い、痛飲したこと。
  その後彼らとの話題に上るのは、自分たちがどれ程飲んだかは忘れ、あの酒は悪酔いする酒だという評価のみ。

  36年10月が経過して。
  縁あって当センターに。
  現在はまさに新規採用職員研修が行われている。
  我が子より若い研修生が参加している。これからの福島県と市町村をリードしていく人達、皆の顔が頼もしい!
  

※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません