2013. 7.12
  「記憶のふしぎ


                                        所長  木戸 利隆

 六月に奈良の旅をした。高校の同級生が室生寺の管長に就任したので、そのお祝いをする旅である。同級生とご夫人二十人の一行は名古屋からバスで室生寺に、弘法大師の誕生日なので奥ノ院が開かれているとのことで長く急な階段を登りお参りをする。赤目温泉でお祝いの宴をもようし、翌日は登廊(屋根付き石段)が見事な長谷寺、広大な法隆寺、極彩色の薬師寺を巡り帰福した。一泊二日のハードな日程であったが大変楽しい時間を過ごすことができた。
 
 学校始まって以来のバカな学年と言われ、早弁、冬でも下駄ばき、髭を剃ることは知らず、政治的送辞で騒ぎを起こし、激しい大学紛争など今では考えられない三年間を過ごしたが、毎年正月二日に同級会を開いているのはちょっぴり誇らしい。

 ところで、奈良の旅に参加したのはあることを確かめたいとの思いが頭をかすめたからである。二年生の秋、修学旅行で訪れた法隆寺。その時見た五重塔。思わず立ち尽くしてしまうその古さ、その中にある機能美、千年の重さ、なんと表現してよいか分からない感動をもう一度味わいたかったからである。ところが、である。あの何とも言えぬ感じが来ない。確かに古い、そして美しい、千三百年前の建立といわれている、のだが・・・。当時大修理は終わっていたので大きな手は加えられていないはずだ。秋の午後と夏のカンカン照りの違いか、騒がしい生徒達の中にいたためか?

 多くの事物を見た四十五年の歳月が感動する力を削いでしまったのかもしれないし、二、三歳頃の記憶は他人から教えられたものがあたかも自分自身の記憶と思い込んでいるふしもあるのと同じように、特に「感動の記憶」は時とともに変質するのかもしれない。「忘れる」ことや「記憶」を自分に都合良いように編集してしまうことは生きるための知恵なのかもしれない。つらい記憶ばかりでは自己嫌悪におちいってしまうだろう。だから記憶は記録とは異なる。「記録」だって記録するものに都合よく記するのは常識である。

 釈然としないが、あの時は確かにあの時であったと思いたい。

※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません