2013年7月から開始した浪江町の復興計画策定委員会町民協働による進行管理部会の活動は、11月6日に開催した委員会において馬場町長に対して提言書を提出したことで、ひとまず終えることができた。2012年10月に策定した浪江町復興計画【第一次】に位置づけられた事務事業のその後の進捗状況について、総勢約50人からなる町民、役場職員、有識者らが委員となって、検討を進めてきた。筆者も有識者の一人として参加させていただいたが、その途中経過は9月12日付けの本欄コラムに書いたとおりである(注1)。
今後は、2014年2月頃に今回の提言を踏まえて、役場から見直しを加えた復興計画案が提案される予定である。
この間、委員全員が3つのチームに分かれ、それぞれが除染、賠償、健康管理、教育・子育て、インフラ復旧など全9分野について検討を重ねたため、開催日は7日ほどであったが、各日ともほぼ午前・午後と半日をかけたので、合計30回近い検討会が開催された。現在、町民の皆さんは、福島市、郡山市、二本松市、いわき市などを中心に、ほぼ全国に散らばって避難していることから、参加委員のなかには首都圏など遠路からも駆けつけた方もおり、苦労しながらも熱心な討議を重ねることができた。
この部会の検討過程では、何を優先すべきか、なぜ急げないのか、もっと工夫ができないのかなど、かんかんがくがくのやりとりもあり、委員のあいだで意見が分かれるような事態も少なからずあった。ふるさと浪江町から強制的に追い出されて、せまい仮設住宅や民間アパートなどに避難している町民の皆さんからしてみれば、当然ともいえる不満や不平、あるいは不安な気持ちが意見として噴出する。
しかし、その都度、町の復興を進めるために、より納得できる対応策や解決策を見つけていこうとする前向きな意見が出されて、そんな委員の皆さんに力づけられた。たとえば、開始した頃には「こんなことをやっても意味がない。役場がやればいいことだ」などと発言していた委員からも、何回か討議を重ねるなかで、「こうしてみんなで意見を出し合うことは良いことだ」などの発言が聞かれるようになり、その変化に驚くとともにうれしく感じた。
町民委員の皆さんはまったく意識しないで発言していたと思うが、こうした討議に参加しながら、筆者は明治時代に活躍した浪江町出身の自由民権運動家である苅宿仲衛(かりやどなかえ(注2))のような、自由を愛し自分たちの地域のことは自分たちが決めるという自治に対するこだわりや力強さが、皆さんの体内にもDNAとして受け継がれているのではないかと感じるほどであった。その意味では、今回の東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所の原発事故が、町民の皆さんのなかに眠っていたチカラを呼び起こしたのではないかとの印象すら持った。
その後、11月9~10日に愛知県豊川市で開催されたB 級グルメの食の祭典、B-1グランプリでは、すでに全国的に報道されたように、「浪江焼きそば」が全国第一位となり、グランプリをとった。そのニュース映像を見ていたら、この部会に参加していた商工会青年部の委員らの顔もあり、両手にヘラを持って、一生懸命に浪江焼きそばをつくっていた。そして、皇帝ナポレオンを思わせるような真っ赤な軍服風の衣装を身にまとった浪江焼麺太国の八島貞之代表による優勝のあいさつでは、「震災で失ったものばかりではない。こんな素晴らしい仲間に出会えたから」という力強い呼びかけがあり、とても感動した。
ちなみに来年のB-1グランプリ第9回大会は、福島県郡山市で開催される予定である。福島県内には、まだまだ全県各地にB級グルメと呼べる料理はたくさんある。この良い機会を利用して、全国から応援してくださって皆さんに、福島の底ヂカラを見せて、感じて、味わっていただく場としたいところだ。
また、上記した進行管理部会とともに、もう一つ進めているまちづくり計画部会では、町内の海沿い東側に確保された避難指示解除準備区域を主たる対象として、町民の皆さんの帰還に向けたまちづくり計画の策定が続いている。こちらも別に組成された約50人の委員の皆さんの手により、しだいに復興まちづくり計画のビジョンが固まりつつある。2014年3月の策定を目標に進められているが、まちづくり計画案が完成したあかつきには、まだ復興の第一歩でしかないが、帰還に向けてきっと町民の皆さんに大きな光明を届けることができるにちがいない。
原発事故と対峙しながら進める進行管理部会、まちづくり計画部会の活動は前例がない試みであり、今後とも長期にわたり試行錯誤が続くことになろう。しかしながら、こうしたピンチをむしろチャンスとして捉えて、全国に先駆けて「町民主体のまちづくり」を進めるチャンスとして生かしてほしいと思う。筆者も微力ではあるが、より多くの町民の皆さんの帰還したいという希望に応えられる計画づくり、あるいは帰還を断念して町外の各地に定住される皆さんには、より満足できる生活再建づくりを、これからも役場やその他の有識者の皆さんらとともに応援していきたい。 それにつけても、大震災から2年9か月になるが、この間の浪江町をはじめとして原発周辺地域の皆さんが、苦労しながらも積み上げてきた復興への道筋を無に帰すことがないよう、国および東京電力は、汚染水対策の徹底など原発の安定化に向けて最大限の努力をもって進めていただきたい。
(注1)2013年9月12日吉岡正彦「浪江の復興まちづくり:その後」
http://www.f-jichiken.or.jp/column/135/yosioka135.html
(注2)苅宿仲衛に関する簡単な紹介として、福島県教育委員会「うつくしま電子辞典」参照
http://www.gimu.fks.ed.jp/shidou/jiten/cgi-bin/jnbt.cgi?id=view&cd1=%CF%B2%B9%BE%C4%AE&cd2=%B4%A3%BD%C9%C3%E7%B1%D2
※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません
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