最近、相川俊秀著『反骨の市町村 国に頼るからバカを見る』(2015年3月、講談社刊)を、おもしろく読んだ。
相川さんはフリーのジャーナリストで、全国を駆け回って地方自治体の動向を取材している。それゆえ本書には地域の活性化をめぐる多くの事例が紹介されているが、その底流にはジャーナリストならではの反骨精神があり、痛快ともいえる内容だった。
本書の特長はなんといっても、著者ならではの造語がちりばめられている点であろう。
最近、話題となっている「ローカル・アベノミクス」は、従来から行われてきた公共事業などに頼る「タリキノミクス(他力ノミクス)」の延長上にあるため地方創生はできないと断じ、必要なのは「ジリキノミクス(自力ノミクス)」であると説く。つまり、自力でがんばった市町村が「反骨の市町村」というわけだ。
改めて整理すると、地域の活性化に向けて、「ジリキノミクス」とは、皆(自力)で話し合い、知恵を出し合って、答えを出していく方法のことであり、以下に列記する5つのメリットがある。
1.皆で課題を出し合うので、課題設定にずれが生じない
2.結果の評価基準と採点に不透明さがなくなる(皆の実感が評価になるため)
3.結果に対する責任を皆で共有する
4.「自治能力」が自然に上がっていく
5.突然の破綻が防止できる(誰かがいなくなっても代わりの新しい人が出やすい)
そして、自らの創意工夫や努力で困難に立ち向かう自治体を「ジリキノミクス」、その住民を「ジリキスト」と名づける。
「ジリキノミクス」にはいくつかのタイプがある。そうなった背景からの分類としては、
1.「崖っぷち型」・・・地域の存続が崖っぷちとなり自力を発揮
2.「退路断ち切り型」・・・楽な選択という退路を断つことで自力を発揮
3.「伝統・風土型」・・・もともと自治の精神が根付いている
の3つがある。
また、自力策をいかに生み出したかという観点から分類すると、
1.「先人の教え遵守型」・・・地域の歴史を踏まえる
2.「ひらめき・目から鱗型」・・・ひらめいたアイデアの活用
3.「試行錯誤型」・・・失敗からまなび立ち上がる
4.「人材集約型」・・・住民らの人材・力を活かす
の4つがある。
他方、「タリキノミクス」とは、誰か(他力)にお任せするやり方、解決策を考えてもらうやり方である。またそういう習性が身に染みついている人を「タリキスト」と名付ける。
「タリキノミクス」にも4つの分類がある。
1.「あぐら型」・・・巨額の税収などに頼り切っている
2.「放蕩型」・・・恵まれた条件や蓄積してきた富を食いつぶしている
3.「過保護感覚マヒ型」・・・国の支援策などに依存しきっている
4.「中央官庁依存型」・・・国が打ち出す政策のいいなりになっている
という具合だ。これらの分類を読んで、そういえば・・と思い当たる事例が頭に浮かんだ読者も少なくないかもしれない。
取り上げられている多数の事例のなかで、福島県内の市町村では「ジリキノミクス」による成功例として、泉崎村と矢祭町が取り上げられている。紹介されている内容はいささか旧聞の感があるが、簡単に紹介したい(数字などは原文のまま)。また、「タリキノミクス」の事例のなかに福島県内市町村はない。
○泉崎村のムラを蘇らせた「働く公務員」(崖っぷち型)
泉崎村は、人口6600人の小さな農村だが、1982年に比較的近くに東北新幹線の新白河駅が開設されたことから、東京への通勤圏内となった。そこで村では住宅用分譲地を相次いで開発したが、当時のバブル経済崩壊の影響により、最後に開発した180区画のうち売れたのはわずか12区画で、大量に売れ残ってしまった。その結果、村は約68億円もの負債を抱えてしまった。
この財政破綻により国の管理下に入る財政再建団体になる可能性があったが、村は自主再建の道を選んだ。そこで、2000年度に「自主的財政再建計画」を策定して各種の歳出削減に乗り出した。また、分譲地の販売促進による歳入確保にも全力をあげた。
アイデアマンだった当時の小林村長は、分譲地のPRを狙って、村から約200キロメートル離れた東京・銀座まで歩く「財政再建行脚」を行うなどして、村をあげての販売活動が評判を呼び、分譲地が売れはじめた。
同時に、少数精鋭による役場の仕事ぶりを進めた。そのためには、当時、財政改革を徹底して全国トップクラスの健全財政にあり、行政関係者から「奇跡の村」といわれていた長野県下條村に職員を出して学ばせたりもした。そして、職員一人が二役も三役もこなしていたり、職員が課をまたいで仕事をしている姿から、職員全体で職務に取り組むような組織づくりを進めた。
こうした役場が一丸となった努力が実を結び、2013年10月に、村は巨額の負債を完済することができた。13年間に及ぶ険しい道のりであった。崖っぷちに追いこまれながら、逃げずに真摯に村の再建をすすめた姿勢が、負の遺産との決別につながったのだ。
○矢祭町の地方の光となった図書館(退路断ち切り型)
矢祭町は、2001年10月に「市町村合併をしない矢祭町宣言」をした小さな自治体だ。そこで、独立独歩の道を選んだ町では、行財政改革を徹底した。議員定数を18から10に削減し、2008年からは議員報酬を月額から日当3万円にし、町長など3役の報酬も総務課長に合わせた(月額52万3000円)。また、町職員に退職者があっても補充せず、人件費の削減を進めた。
その一方で、役場を365日間開くなど、行政サービスの水準をあげる努力も重ねており、その一つが寄贈本による図書館整備という前代未聞の策だった。
当時、町内には図書館はおろか書店もなく、2005年に行った町民アンケートで町立図書館の開設を希望する意見が多数寄せられるなど、図書館建設は町民の悲願となっていた。しかし町に財源の余裕はなく、老朽化した町の柔剣道場を改築し、そこを図書館にすることは決まったが、肝心の蔵書の手当資金が宙に浮いてしまった。
そんななか、町職員で図書館担当していた高信由美子さんが寄贈本による図書館構想を話題にしたところ、それが新聞記事に載り全国に発信された。すると、町民の心配をよそに、全国から大量の段ボールが届き、町は約29万冊の本であふれかえることになった。本の整理・分類には住民ボランティアも加わり、町の一大事業になるほどだった。
こうした町をあげての努力により、2007年1月に「矢祭町もったいない図書館」を開館することができた。寄贈本だけで蔵書を揃え、さらに住民ボランティアなどで構成する運営委員会が図書館の運営を担っている。
2014年10月には、「矢祭町もったいない図書館」などが主催・共催する第6回「手づくり絵本コンクール」の最終選考が実施され、12作品が最優秀賞や優秀賞などに選ばれた。住民主体による図書館活動が、現在も活発に展開されている。
この事例は、町の予算がないなか、役場職員によるアイデアや町民が必死の思いで取り組んだ活動が実を結んだのだ。
「ジリキノミクス」の事例としては、以上に紹介した「崖っぷち型」福島県泉崎村、「退路断ち切り型」福島県矢祭町のほか、「伝統・風土型」神奈川県秦野市、「先人の教え遵守型」島根県雲南市、「ひらめき・目から鱗型」山形県鶴岡市、千葉県印西市、「試行錯誤型」愛知県岡崎市、「人材集約型」徳島県神山町などが紹介されているが、本稿では割愛したい。
これらの事例から、著者は地域活性化に向けた特効薬として、以下の提案をする。
今日、わが国においてとくに疲弊しているのは、地方小都市や農山村が多い過疎地域であるが、このような過疎地域では、「循環の経済で地元の創り直しをする」ことが有益である。
これは、島根県中山間地域研究センターの藤山浩研究統括監が提起している考え方だが、中山間地域の本質は、資源や居住の“小規模・分散性”にあり、資本主義的発展の原理・原則とされている「規模の経済」ではなく、「循環の経済」に転換すべきである。
そして、そのための具体策の一つとして、地域内外を結ぶ広場(拠点)の整備を提案する。過疎地域は小規模集落が分散し、しかも生活拠点がバラバラに配置されていることが多い。こうした状況を打破するためには、小学校区などの基礎的な生活圏ごとに拠点が必要である。島根県中山間地域研究センターではこれを「郷の駅」と呼び、地域のヒト・モノ・カネ・情報などをつなぐハブと位置づけている。
さらに、少数の住民がつながりを取り戻すためにこうした拠点を活用して暮らしの舞台を整えたり、次世代の定住を呼び込むような動きをつくり出すことが、「地元の創り直し」である。
「地元の創り直し」の好例として、徳島県美波(みなみ)町の事例を取り上げている。
美波町は自然豊かな地域で、四国遍路の札所もあるおもてなしの文化の地でもある。
やはりご多分にもれず過疎化が進み若者が減るなか、同町出身で都内にてIT会社を経営する吉田基晴社長は、想像力豊かな社員となるためには仕事と私生活双方の充実が重要と考えていた。すなわち「半X半IT」(Xは個人の趣味。つまりは仕事をしながら趣味も楽しむという生き方)が大切と考えており、2012年5月に美波町にサテライトオフィスを開設した。豊かな自然環境を活かして社員の想像力を刺激する拠点にしたいと考えたのだ。
大学生のインターン合宿なども同町で実施するなどするなかで、しだいに「半X半IT」の社風が話題となり、社員数も増え、東京に加えて徳島市や美波町にも職場が広がった。
そこで吉田社長は、さらに美波町に町の文化や地域コミュニティ、漁業や農業といった地域産業の保護や振興を図りながら、地域の活性化を推進する株式会社をつくった。地域活性化には、継続性、持続性が大切と考えたからだ。
その後、こうした動きが町内に広がり、2014年12月現在、町内のサテライトオフィスは6社、起業した会社が3社になり、さらに1社が起業予定という。これらの会社の社員数は、20代から30代の若者を中心に17名にのぼる。町のお年寄りたちは若者が増えたことを喜び、また、移住した若者たちにとっても新鮮だった。
町には地域の「ソトとナカ」が交流すれば、地域は元気になれるという手応えが広がっているという。たしかに「ジリキスト」による「地元の創り直し」が実践された好例といえよう。
以上をまとめると、疲弊した地域を活性化するためのポイントは、「規模の経済」から「循環の経済」へ転換であり、つまりは「量の追求」から「質の追求」といってもよい。そして、そのためになすべきことが「地元の創り直し」ということになる。
そこで必要となる基本的な心構えは、「自助努力」である。まず、自分たちで考えて行動すること。そして、外部の力やカネに頼らないこと。地域活性化の道は「ジリキノミックス」、「ジリキスト」によってしか切り開けないのだ。
最後に著者は、地域活性化に向けて、「アベノミクス」の3本の矢ならぬ、「ジリキノミクス」の3本の矢を提案している。
その1つは、まず自らの地域をよく知ること。地域の強みと弱みの徹底的な洗い出しから始める必要がある。活性化に向けたヒントはどの地域にも必ずある。
2つめは、何をどうするのかという戦略を立てること。そのためには、独自策を生み出す必要があり、「知恵者」「世話役」「リーダー」などが不可欠であるが、自分たちの地域にそんな人物はいないとあきらめるのは早い。埋もれている人材はどこにでもいるし、あるいは人的ネットワークの利用により、外部に協力をもとめてもよい。
そして3つめが、世代間でのバトンタッチの重要性である。傑出した人物によるリーダーシップは、その人一代で終わってしまう危険性があり、活性化を持続させるためには、人材の育成に努める必要がある。
これらを組み合わせて実施することで、「地方創生」は実現するのだ。
以上に概要を紹介したが、著者の提案は単純明快である。地域活性化の主役は地域住民であり、行政や政治はそれをバックアップするのが本来の役割である。つまりは、「地域主権」「住民自治」に転換することが必要だと説く。
結局、著者の言葉を借りれば、「活力ある地域と衰退している地域の違いを一言でいえば、自力で奮闘しているかどうかだ」ということになる。
明治維新後、とりわけ戦後の高度成長期以降、国主導による与えられた地域開発、地域振興に慣れてしまっている我々に対して、「自治とはどういうことか」を再考するための良書だと感じた。
(以上の記載は、筆者の個人的な理解や解釈であることを付記しておきたい。)
参考資料
相川俊秀『反骨の市町村 国に頼るからバカを見る』講談社、2015年3月
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062194327
※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません
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