2015.7.15
  「地方創生シンポジウムに参加して」

                                総括支援アドバイザー兼教授 吉岡 正彦


  20157 4日に開催された後藤・安田記念東京都市研究所主催による第41回『都市問題』公開講座「地方創生、この道しかない?」がおもしろそうだったので、参加した。
  Ⅰ部の基調講演はジャーナリストの松本克夫さん、Ⅱ部のパネルディスカッションは、下山克彦さん(中国新聞社編集局報道部長・論説委員)、牧野光朗さん(長野県飯田市長)、松尾雅彦さん(カルビー株式会社相談役、NPO法人「日本で最も美しい村」連合副会長)、山下祐介さん(首都大学東京大学院人文科学研究科准教授)、司会は西村美香さん(成蹊大学法学部教授)と、豪華な顔ぶれだ。
  開催時間が全体で3時間であり、多彩な論客による議論の場としては時間がたりない感じもしたが、ずいぶんと楽しめた。とくに山下さん、松尾さんは最近著作を読み、また牧野市長は何かと話題となる方であり、それぞれの皆さんに関心があったので、比較的間近でお顔を見ながら話がうかがえてうれしかった。
  以下に、自分なりの視点から、簡単に要旨を紹介してみたい。

(基調講演) 松本克夫さん(ジャーナリスト)
  今回の政府による「地方創生」の特徴として、人口を指標としたことと、国と同じ戦略づくりを地方に課していることの2つがある。
  人口対策は、大きくとらえて2つしかない。すなわち、人口減少の抑制策と東京一極集中の是正策である。
  このような動きを背景に、いまや全国で人口の奪い合いが始まっているが、じつは地方人口はわが国全体の1割でしかない。地方に何かを求めるよりも、まずはわが国経済の成長エンジンである東京の人口対策こそが重要ではないか。

本来、国がすべきことは人口減少を緩やかにすることであるが、なぜ少子化社会に至ったのかという原因の解明が必要だ。端的にいえば、東京圏への人口集中が子育て環境が最悪という矛盾のなかにあるということ。つまり、経済成長が同時に成長阻害要因をつくりだしているともいえる。
  また、これまでの日本社会を振り返ってみると、男性中心の社会であり、女性が輝くための備えを忘れた社会だった。
  さらに、政府が推進している国家戦略特区は、強い農業をつくるというようなプロジェクトも含まれてはいるが、主目的はグローバル企業が働きやすい社会をつくるという東京圏のテコ入れにある。つまり東京集中の促進策であり、地方創生というローカルアベノミクスがやっていることと矛盾している。

最近は、中央集権に逆戻りしているのではないか。人口ビジョンや地方総合戦略というマニュアルに基づく全国一律の計画づくりは、はたして必要なのか。分権とは各地域が自らの物差しを持ち、その評価は住民がすることなのではないか。そう考えると、竹下内閣のときのふるさと創生の方が、より分権的であったともいえる。

政府は地方自治体に対して、今年度中に人口ビジョンと地方総合戦略をつくれといっているが、戦後70年の踊り場で、なぜそんなに急ぐのだろうか。
  福島県飯舘村に「までいライフ」という言葉がある。「までい」とは、ゆっくり、ていねいにという意味であるが、そうした姿勢こそが必要なのではないか。
  いま、われわれはバランスの悪い生き方を選択している。地方を育てるといっても、食料を輸入すれば農村人口が減るのはあたりまえではないか。「おかねといのち」「買うこととつくること」「仕事と家庭」「奪い合いと助け合い」・・いま、こうした矛盾をもつ戦後の生き方を問い直す必要があるのではないか。
  近年、田園回帰の傾向がみられているのは良いことだ。ダウンシフターという生き方であり、経済成長から人間関係重視の社会へと価値観を転換し、自分の人生をデザインする世代が育っている。

そこで、自立のすすめを説きたい。大切なのは数値よりも言葉ではないか。地方創生ではKPI(重要業績評価指標)やPDCAサイクルなどの数値による成果を求めているが、むしろ言葉()のほうが大切ではないか。「までい」の発想も同様である。
  結論として、地方は国に惑わされずに、本来やるべきことを地道にやることが大切ではないか。福井県池田町では「あたりまえがふつうにあるまち」をスローガンとしている。その意味は、自然とともに営む農業、郷土料理や収穫物をいただく、集落での相互扶助など、「日本人が忘れかけたあたりまえがふつうに残る農村」をつくろうとするもので、目標とすべき姿ではないか。
  人口回復策は不可欠ではあるが、そのためにはあせることなく、地道な努力を続けることこそが大切ではないか。

(パネルディスカッション)
山下祐介さん
  現在は、地方分権の流れのはずが中央集権になっている。政府は「まち・ひと・しごと創生総合戦略」というが、しごとづくりが優先されている。地方が豊かになるしくみづくりが必要ではないか。
  人口減少はわが国の統治の失敗といえるのではないか。地方での人口減少問題は、人口が集中している東京の問題でもある。なので、東京と交流して地方に動きをつくるなど、東京と地方との関係性のなかで考える必要がある。
  しかし、いまの農業では食えないという現実もある。なぜ暮らしていけないのかといえば、子どもの学費などある程度まとまった現金収入が必要だからだ。そこで、現金収入の得かたなどを知らせる必要がある。また、観光や6次産業を振興するためには、主要な観光客である首都圏人口が余裕時間を確保できるような施策も大切ではないか。
  さらに、住民の行政への依存度が大きいという問題がある。そこで、住民自治や地域間の連携を通じて、地方ならではの自分たちのスタンスを持つことが大切である。そこでは市町村のみならず、国や県が果たす役割も重要ではないか。

下山克彦さん
  地元である中国地方は、過疎の先進地である。わが国の高度経済成長期に、瀬戸内の工業地帯などに転出してきた経緯がある。
  今回の増田レポート(2015年6月4日に公表した日本創成会議「東京圏高齢化危機回避戦略」)の提言は、高齢者移住の可能性を現地の介護ベッドの余裕状況などで評価しているが、地方には介護するマンパワーがないという問題があり、簡単ではない。
  また、学校の統廃合が進められているが、小中学校は地域の砦としての役割を果たしているので、むずかしいのではないか。近年、田園回帰の動きはあるように思う。
  わが国が食糧を安定的に確保のためには、農業を振興して自給率を高める必要がある。

松尾雅彦さん
  2005年までカルビー(株)の社長をやってきた。5年前くらいからわが国の人口減少の要因を探ってみて、『スマート・テロワール』(学芸出版社、20141215日刊)を書いた。()
  地方での人口減少の根本原因は3つあり、1つは、国家の重商主義があり、農業・農村が衰退したこと。2つに、食糧供給過剰の時代という問題がある。そして3つめに、国民のライフスタイルの変化により、嗜好が「和」から「洋」に移っているのに、あいかわらず米をつくり続けている。つまりは、武士の商法と同じ失敗をしている。
  対策としては、欧州の農村に学べということ。欧州はアメリカとの農業戦争で、適地認証制度とECによる共同政策により勝ったので、農業を守ることができた。
  ちゃんとした地域振興ビジョンを掲げれば、チャンスは来る。わが国の農村は、地域循環を基調とした自給圏(スマート・テロワール)をつくるべきである。それは、「真善美」が基本となり、「真」は自然界の機能を生かすこと、「善」は人々による協働作業、「美」は美しい地域づくりの3つである。

牧野光朗さん
  地元(飯田市)に大学がないなかで、若い人たちに帰って欲しいと考えた。そこで、仕事をつくり、安全安心の地域づくりを進めて、「帰ってきたいと思える人づくり」を進めた。そのためには、高校までに故郷について学ぶ必要があり、また小中学校の連携や一貫教育を行っている。その結果、8割流出していた若者がいまは5割にまで低下している。子育て時には故郷に帰ってくるようになってきている。
  やはり現場の視点が大切ではないか。現場の動きの事例として、平成17年に合併した上村における保育園の廃止をめぐるプロジェクトを紹介したい。
  同地区の保育園の利用園児が翌年には1人になると予想されるなか、職員から保育園を維持するか廃止するかを問われ、絶対に廃止するなと伝えて、あとの方法は職員に任せた。すると、職員は転出している上村出身者らに地元へ戻るための条件などをヒアリングすることで、なんと園児を7人:(現在は5人)に増やすことができた。
  さらに、地域を自立させる方策として、小水力発電事業を立ち上げることで上村の収入を増やして、これを子育て資金の原資とすることで自立運営する計画が進んでいる。
  また、市民の行政への依存に対しては、依存でなく補完する関係づくりが大切だ。市政懇談会で出された菱田春草誕生の地の公園化の事例では、公園整備は行政がやるのが当たり前という意見に対して地元に戻したところ、地元で推進組織づくりがはじまり、募金運動では整備資金として2100万円が集まった。そこで、そのうち1800万円を行政に寄付してもらい建設費用に充てることで実現した。残額の300万円は今後、地元での公園の維持や保存のために使う。
  つぎにトイレの整備が必要ということになったが、今度は自分たちで隣家の空き家のトイレを活用するという対応が進められた。こうして平成273月末に公園が完成した。乗り越える努力を引き出すことが必要で、住民活動を補完する大切さである。
  こうしたことができる飯田市の住民主体のまちづくりは、公民館活動が源泉となっている。学びの風土があり、たとえば飯田では「公民館をやる」という。これは地域を学ぶ活動を指している。

以上をパネルディスカッションの要旨とするが、じつは筆者は20年前くらいに飯田市を中心とした広域圏である飯伊地方の地方拠点都市地域基本計画づくりをお手伝いしたことがある。その当時から、市内には「ムトス」という標語があちこちに貼られており、いったい何だろうと気になった記憶がある。
  「ムトス」とは「~をしようとする」という地元の言葉で、同市のホームページによれば、私たち一人ひとりの心の中にある「愛する地域を想い、自分ができることからやってみよう」とする自発的な意志や意欲、具体的な行動による地域づくりをめざしている、とのことである。飯田市では、歴史的に住民協働が盛んな風土がつくられてきているのだ。

結論をまとめると、司会の西村美香さんがまとめたように、当たり前のことと言われそうだが、地方創生に対しては国に依存しないで、自らが考えて行動することが大切、ということになりそうだ。しかし、最近の国による自治体への強い関与の動きを考慮すると、これまで以上にこの言葉の意味は重いのではないか。
  また、地域振興の成否は、リーダー(キーマン)の存在次第といわれることも多い。もちろんリーダーの力が大きい事例は少なくないが、飯田市の話から地域が持つ風土や底力、すなわち「地域力」が果たす役割の大きさにあらためて気づかされた。

(以上の記載は、筆者の個人的な理解や解釈であることを付記しておく。なお、本シンポジウムの議事録は、後日、後藤・安田記念東京都市研究所から、「都市問題」公開講座ブックレットとして販売されると思われる。)

() 松尾雅彦さんの著作『スマート・テロワール』については、筆者の本欄コラム「福島の農業・農村ビジョン」(平成27617日)のなかで紹介している。
http://www.f-jichiken.or.jp/column/213/yosioka213.html



※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません