2015年1月18日に放送されたNHK総合のテレビ番組、復興サポート・明日へ「村に楽しみの場をつくろう~福島・川内村」を見た感想を、同年2月4日の本欄コラムに書いたことがある(注)。それから半年以上になるが、9月20日に第2弾として、「村に楽しみの場をつくろう~福島・川内村 Part2~」の放送があった。
東電福島第一原発からおよそ30㎞圏内に位置する川内村は、原発事故の影響を受けて全村避難となった。しかし、周辺地域に比べて放射線量が低かったため、村は2012年1月に帰村宣言を出した。
そして、2014年10月1日に国から出された避難指示解除から約1年間を経ているが、これまでに帰村した人口は震災前の6割あまりであり、とくに若い人たちが戻ってきていない。震災前は100人いた小学生も、30人あまりに減ってしまっているが、子どもたちの被爆を心配する親心を考えると、当然ともいえよう。
村の基幹作物である米の作づけは震災前の7割まで戻ってきたが、それゆえ後継者に困っている状況がある。他方、そんななかではあるか、子どもたちが除染した田を利用して餅米を育てており、年末には餅をついて食べる予定だという。
このPart2の番組は、その後の川内村で、どうしたら人々が生き生きと暮らすことができるのかを再度、考えることが目的だ。見終わったあとにさわやかな希望を感じたので、紹介したい。
今回も復興サポ-ターは、前回とおなじ民俗研究家である結城登美雄さんで、結城さんは、東北の村々を歩き、地元にある宝を再評価することで、地域おこしを成功させてきた。
結城さんが川内村で出会ったのは、餅を使った豊かな食文化だ。この餅を利用して、楽しみの場を復活させることから、村の再生を進めてはどうかと投げかけた。楽しみの日をたくさんつくっていく。そこから、復興の灯りをともしていってはどうか、という提案だ。
今回の話し合いの場にも、前回と同様、村の農業、林業、観光業関係、廃炉作業にかかわる人々、村役場や商工会の職員らが集まった。
前回では、村に楽しみの場をつくろうと、たくさんのアイデアが出た。自分たちで良くしようという話し合いができたので、今回は話だけでなく具体的にやっちゃおう、と1つでも実行に移そうというねらいがある。
じつは、前回の話し合いののちに、新しい楽しみの場ができた。村内のある畑に住民が次々に集まってきて、共同で野菜づくりが行われているのだ。
呼びかけた一人の秋元優子さんは、震災直後は首都圏に避難したが、翌年、川内村に戻った。しかし、孫たちは戻ってこなかった。気落ちしていたのだが、みんなで畑をつくれば元気になれるのではないかと、野菜づくりの会を立ち上げた。
メンバーは40人ほど。週1回集まり、20種類の野菜をつくっている。みんなといろいろと話をしながら農作業をするのが楽しいという。秋元さんは、野菜ができたら、直売所に出したいと希望を膨らませている。
ただ不安なのが、自分たちがつくっている野菜の安全性だ。そこに、もう一人の復興サポーターとして、農作物に対する放射線の影響に詳しい分子生物学者の河田昌東さんが登場した。
河田さんは、原発事故後から、南相馬市で放射性セシウムの影響調査を続けている。ピーマン、ニンジン、たまねぎ、大根などは吸収されにくい。他方、えごま、しその実などは吸収されやすいことが、わかってきたという。
加えて、2012年から2014年にかけて汚染レベルは年々下がっており、川内村ではほとんどが検出限界以下になっている。国の安全基準と比べても問題ないレベルになっていると太鼓判を押した。
つぎに、話が出た直売所について、結城さんから簡単な解説があった。直売所の歴史は比較的新しく、1991年まではなかった。それまでは曲がったキュウリはダメ、不揃いのものはダメなど、全体の35%は規格外として捨てられていた。
小売価格を100円として考えてみると、農家の手元に残るのは、スーパーに出すと良くて30円だが、直売所だと70円くらいになる。こうして、全国でおじいちゃん、おばあちゃんたちが頑張った結果、直売所は全国で2.4万か所あり、全体の売り上げは1兆円近く、従業員数も20万人以上になっているという。
では、直売所で余った食材はどうしているのか。結城さんは、青森での事例を示した。手づくりおかずの店を開き、直売所であまったものを揚げ物、煮物、きんぴら、サラダなどの総菜にして、売っている。385円で腹一杯にお袋の味が食べられると、評判になっているという。
こうして年間8千万円くらい売り上げている。大もうけしなくても良いので、おじいちゃん、おばあちゃんたちの小遣い稼ぎとして、こんなことを川内村でもやってみてはどうか、との投げかけがあった。
つぎに、お餅の活用である。川内村には、代々、四季の行事ごとにお餅を食べる文化がある。第1回目の放送で紹介された秋元ソノ子さんの家では、年に40回も餅をついている。餅を食べることで、自然の恵みに対する感謝の気持ちが、子どもたちにも引き継がれている。
会場に参加していた秋元活廣さんは、今年、はじめて餅米づくりに挑戦した。この秋には餅をついて、仲間が集まって食べたいと思っている。原発事故の後、米づくりは止めていたが、餅が村の文化であることに気づき再開したのだ。
いまは、小さい2人の子どもの健康を心配していわき市で生活しているが、いつか村に雇用の場をつくり、震災前の仲間たちみんなで帰りたいと考えている。
8月12日のお盆に、ぼた餅、じゅうねん餅を食べたが、これは買ってきた餅米でつくったものだ。しかし、今度の正月には自分の田でとれた餅米からつくった餅が食べられそうだ、と楽しみにしている。活廣さんは幼なじみなどの若い世代が集まった場で、稲刈りを手伝って欲しいと呼びかけていた。
結城さんは、川内村には厚みのある餅の食文化があるので、餅文化を復興の柱にしてはどうかと問いかけた。村から離れて避難生活をしていても、お正月に餅が届いたら、ふるさとの気持ちが伝わるのではないか。そして、ときどきは餅食いに帰って来いや、と呼びかけてはどうかというわけだ。
もちろん餅米に含まれるセシウムも、モミから玄米、白米、ごはんと加工が進むなかで線量は大幅に下がり、十分に安全な状態になっている。
こうして、川内村はふるさとの再生に向けて動きを加速化している。ある農家では、食品よりも風評被害が少ないリンドウの栽培を始めている。首都圏などに出荷して、新しい産業に育てようとしている。
また、年末のオープンをめざして、商業施設の建設も始まっている。スーパーや薬局、クリーニング店などが入り、村唯一のショッピングセンターとなる予定だ。
番組では、最後に参加者によるワークショップを行い、野菜やお餅などを使って、村が元気になるために何ができるのか、について考えた。
すると、すぐにできることとして、直販所をつくる、最初は村内から口コミで始めたらいい。村の食堂で川内の野菜を使った定食をつくる、田舎料理をつくり、売ってもいい。将来は農家レストランを経営して、村として強くなっていきたい。
また、餅をつく。苗をつくるところから始めて、餅つき体験をする。さらに、「餅の歌」もリリースする。あるいは、今度できる商業施設の中に、おいしい総菜屋をつくる。営業許可の取得から始まって、行政の力を借りて補助金が使えれば助かる、などのたくさんの意見がでた。
河田さんからの講評としては、汚染量は下がっているので、これからどう具体的に宣伝していったら良いか。直面している困難を、むしろ皆さんの「心の栄養」にして、頑張って欲しいとのエールがあった。
また、参加した皆さんからは、こういう場に出てきて、若い人の意見も聞けて良かった。畑仕事を手伝いたい(林業従事者)。行政としても協力していきたい。この土地でしかできないことをやっていきたい、などの感想があった。
結城さんは、今日は具体的なアイデアが、たくさん出てきた。さあ、これらを実現しちゃいましょう、と呼びかけた。
そして、前回とも共通するが、尊敬しているという民俗学者の柳田國男の言葉を紹介した。「美しい村などはじめからあったわけではない。美しく暮らそうという村人がいて美しい村になるのである」。是非、皆さんの力で頑張って欲しい、期待しています、と締めくくった。
この集まりがあった後日、川内小学校の子どもたちが参加して、実際に餅つき体験が行われていた。なんとも素早い行動だと感心した。年末には鏡餅をつくって、村を離れている若い人たちにも届ける予定とのことである。
まだまだ帰還した生活が落ち着くまでに時間はかかるように思うが、こうして村の皆さんが、震災前にも増して新しい村づくりに挑戦している姿を見て、心が熱くなった。と同時に、2015年9月5日に避難指示解除された楢葉町をはじめとして、これから避難指示解除が予定されている市町村の皆さんも、一日も早く安全・安心な環境を確保したうえで、ふるさとを取り戻してほしいと願った。
(注) 吉岡正彦「川内村のむらおこし」(本欄コラム、2015年2月4日)
http://www.f-jichiken.or.jp/column/193/yosioka193.html
参考資料:
NHK総合テレビ番組、復興サポート・明日へ「村に楽しみの場をつくろう ~福島・川内村
Part2~」、2015年9月20日(日)放送
http://www.nhk.or.jp/ashita/support/
※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません
|