2016.4.6
  「卒婚」

                                       所長  菅野 裕之


「卒婚」という言葉があることを初めて知った。離婚ではなく、結婚を卒業することだそうだ。内館牧子さんの小説「終わった人」の中に出てくる。
物語は、エリート銀行員だった主人公が、子会社を定年退職後終わった人になりきれない。ひょんなことからIT企業の社長を引き受けるも、不幸にも倒産し、借金返済のため、豊かな老後資金9千万円を失ってしまう。当然、奥さんとも不仲となり、贖罪としての主夫業は限界に。最終的には、奥さんを東京に残し、故郷の盛岡に帰り、高齢の母親の面倒を見ながら、震災復興を支援する高校時代の友人たちのNPOを手伝うことに第二の人生の希望を見出すというストーリーである。
カルチャースクールやスポーツジム、たまの旅行や外食だけでは充実した老後は過ごせないのだろう。夫も妻も何か夢中になれるものを持ち、輝き続けることが円満の秘訣なのかもしれない。

先日、ある自治体の首長さんとお話する機会があった。毎日1件は葬式があって長が参列せざるを得ない。各集落では婆様一人暮らしの家が多くなり、集落の共同作業もできなくなってきている。苦労して高等教育を受けさせた息子たちは都会に出て行って、帰ってこない。中にはできるなら帰りたいという者もいるが、奥さんが絶対反対で実現しない話は結構ある。若者の定住促進といったってここは農業の単作地域で、働く場所もないとのことであった。

団塊の世代が65歳を過ぎている。相当数のリタイア組みが都会に滞留しているのではないか。彼らは激烈な受験戦争や就職戦線を勝ち抜き、知識や経験も豊富で体力に自信のある人たちも多い。なおかつ、子育ても終わり年金受給者であるからそれほど多くの稼ぎを必要ともしていない。

 人間だれしも生まれ育ったふるさとへの愛着は強い。都会の介護負担を減らすための日本版CCRC構想のような姥捨て山的な発想でなく、団塊世代のパワーを借りてふるさと再生ができないかと思った次第である。

 「終わった人」は、定年後のリアルな感情や生活を痛烈に批判する内容でショッキングであった。ただ、奥さんが1時間遅れの新幹線で追いかけてきて、二人そろって実家の母(義母)にあいさつに行く最後のシーンに少しほっとしたのである。感情移入のし過ぎだろうか。



 ※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません