第一原発に近接する浪江町は、現在も全域が避難地域指定を受けたままだ。しかも、町は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に3分割にされたまま、5年間以上を経過した現在も町内に居住することはできない。
筆者は、2012年10月にとりまとめられた浪江町の「復興計画(第1次)」の策定、および2014年3月に報告書を作成した「復興計画策定委員会町民協働による進行管理部会」に、委員として参加させていただいた。そして2015年9月5日から2016年3月の間は、6回にわたり開催された「浪江町避難指示解除に関する有識者検証委員会」(以下、委員会と略称)に参加させていただいた。
これまでは、原発事故による被災地では、放射線量が高い地域が多かったことから、避難指示解除に向けた条件としては、除染による線量の低下が主要テーマとなってきた。しかし、原発事故から6年目をむかえ、全体に線量が低下してきたこともあって、最近では安全な線量水準の確保とともに、上下水道などのインフラ整備や商店、医療福祉施設など、生活環境整備の充実が重要な関心事として注目されている。
帰還して安全・安心な生活を過ごすためには、これらの総合的な条件が満たされることは当たりまえといえる。
この委員会では、以上に記したような帰還条件の検討とともに、住民の皆さんの生の声をお聞きするために、第2回から第5回の委員会の場に、町民代表として行政区長、自治会長、復興計画検討委員会の委員の皆さんらにも参加していただいた。その場で発言があった住民の皆さんの生の声は、被災地の現状をあからさまに反映しており、とても重要だと感じたので、以下にその概要を紹介したい。
(行政区長の皆さん)
○私たち浪江町民は国からの避難命令で震災翌日、全員が何も持たずに避難させられた。もしその時、津波で被災された方々が命令に逆らって自分の家族の救出にあたっていれば、助けられた命は多々ある。津波被災地の請戸地区は現在も震災当時とさほど変わらない状況である。避難命令や解除命令が私たちにとってどれほど重大なものであったかを知っていただきたい。
○避難指示解除時期が遅くなるほど、浪江町が存続の危機になることは容易に想像できる。帰還を諦めた子育て世代は別にして、浪江に戻り生活が可能な住民を戻すという段階的な解除をし、先に戻った住民が中心となり、誰もが戻りたくなるような生活基盤をつくることが大事ではないか。
○帰町する条件が線量第一ではないと思っている人も多数いることを考慮してほしい。最低限のインフラ(上下水道・電気・道路)や、生活関連サービスとして銀行ATMや郵便局のポスト、医療介護施設があれば、私はぜひ戻りたい。
○除染に関して疑問に思うことがある。屋根の除染はでたらめだ。とくにセメント瓦、樋、石の塀などはひどい。このため、住民が抜き打ち的に監視した。除染工事の際に、環境省には極力作業を監督してもらいたい。
○町民にとっては、除染後安心して住めるかどうか、帰還できるかどうかということが一番大切なポイントである。追加被ばく線量1mSv/年の方針はあるが、浪江の直轄除染に関して言えば、環境省に除染の目標値を質問しても明確な返答がなく、目標値がない状態で、何を基に検証するのか理解に苦しむ。
○配付資料では、帰還困難区域は地図から除外されたようになっており、非常に残念だ。帰還困難区域に住んでいた住民がこの地図を見て、どんな感情を持つかを考えた上で資料づくりを行っていただきたい。
○営農を再開するためには、帰還困難区域内にある幹線水路の除染も必要と考えているが、説明では帰還困難区域に除染計画はないということであった。こうした場所の除染も並行して進めないと、帰還しても営農再開はできない。
○農地の水源は大柿ダムだが、その底質には大量の放射性物質が堆積していると思われる。これまでの環境省の説明では、底質の上にダムの水が何mもあり、それが放射性物質を遮蔽しているから取り除く必要はないとの回答だが、これはぜひ取り除いていただきたい。
○帰還するにあたって、1番は除染、2番目は賠償。この2つは絶対に譲れない。
○苅宿地区は表土が薄く、表土の15cm下は砂になる。その場合、表土を5cm剥ぎ取り山砂を入れれば、すぐには営農活動できない。技術的には別として、最も良いのは剥ぎ取った土を除染し、戻すことである。
○さらに住民の心の疲労をきちんと取らないと、帰還した時に困る。
○帰還困難区域の除染の開始および帰町可能な時期の目標スケジュールを出してほしい。帰還困難区域について、もう少し真剣に考えてほしい。
(自治会会長の皆さん)
○現在、仮設住宅から自宅に通い、手入れを行っているが、仮設と自宅の往復には時間がかかるため、いこいの村なみえに宿泊しながら自宅の手入れをしたいとの要望があった。
○住民からは、準備宿泊の要望が特に多い。準備宿泊しながら家の手入れを行うことにより、愛着が湧いて帰町する方も増えるのではないか。
○廃炉のリスクに関する説明をあまり受けていない。町として緊急避難計画及び体制を準備しておくべき。
○帰町を希望する住民を対象に現地を定期的に案内し、浪江の現状・復興の状況を見せ、生きた意見を吸い上げることが重要。
○住宅支援として、下水道整備が間に合わないのであれば浄化槽を付ける、上水道整備が間に合わないのであれば井戸やポンプを設置するなど、町民に寄り添った現実的な対応をしてほしい。交通手段として常磐線が期待できないのであれば、代替バスを考えてほしい。
○住民は全国に避難しているため、交通手段は、交通料金の無料化・補助など、ソフト面で支援してほしい。
○帰還の最低条件は水と交通手段。JRについては平成29年3月以前の開通を希望する。県道34号・35号の早期復旧を希望する。
○除染に関して川は上流から濁るため、なぜ山は除染しないのかという話を聞く。また、平成29年3月の帰還に向けて、除染の効果に関するPRを行ってほしい。
○国や県は町の良きパートナーとして支援してほしい。
(町の復興計画検討委員会に参加された皆さん)
○帰町は町民にとり、とても大事なことだ。商工業に関して言えば、中途半端な状況では投資できず、環境が整うのを待てば投資はさらに遅くなる。健全なコミュニティを育てていくには、健全な商業があって然るべき。商業の再開が少ない理由は、将来の見通しが立たないことに起因する。 事業再開資金として利用可能な様々な補助金があるが、事業再開後の補助が全くない。浪江町に帰町して商売をする場合は、そこに大きなインセンティブをつけていただくような方策をお願いしたい。
○商業は住民の生活に向けて必要なサービスで、その観点から赤字補てんは当然あってしかるべきである。一方、復旧時に必要な業種以外の業種については、避難先での事業再開のプロセス、ステージを示していただきたい。
○課題は、事業従事者の確保と運営資金の確保である。施設の造成には補助金があるが、維持管理は風評被害によって親魚・稚魚の販売ができない状況なので、資金援助をお願いしたい。
○一日も早く請戸漁港に接岸できる状況を、県・国にぜひともお願いしたい。
○子どもを持つ若い人を町に呼び戻すために、平日は浪江町、土日は避難先に帰るという生活でも良いので、浪江での住居の手配や補助的なものがあれば良い。
○浪江町へ帰還するかどうかは本当に難しく、その判定材料も多岐に渡るが、判断の共通項は放射線量の低下である。大切なのは除染による放射線量の数値低下で、それもコンクリートや自分の敷地内など限定された範囲の低下ではなく、浪江町民すべての財産である自然の除染を含めた数値低下が重要だ。
○私どもの事業再開は、除染の完了と新しい川づくりが一体となったとき初めて実現する。しかし残念ながら、いまだ河川、川底の除染の具体的な計画は一切聞いていない。国や県に強く働きかけをしてほしい。
○請戸川で今年、昨年と2年続けて鮎の人工種苗を放流しているが、放流した鮎がわずか2週間で1,000ベクレルを超えている。湖底に沈んでしまうから川には流れない、というような結論にはならないのではないか。
○内水面について、ぜひ川底の除染、河川の除染を強くお願いしたい。
○農業用水の問題について、国・県等関係者で対策を進めていただきたい。また、後継者や採算性の問題など、農業従事者の意欲が出るような手厚い補助制度をお願いしたい。
○福祉事業所は全事業所が早い時点で再開した。希望は浪江に戻り、障がい者の方々と浪江の未来を創っていきたい。
○病院の議論で、常勤医1名は少ないという印象を受けた。できれば総合病院をつくってほしい。病院はコミュニティの場所、メンタルヘルスの場所となる。
○やはり年齢によって帰町の意思が分かれており、高齢の方は絶対に帰りたいと思っているが、40〜50代は帰れないと思っている方が多い。そのため、帰りたいと思っている人数と年齢層を把握してから必要な施設を作ったほうが良いのではないか。
○どこの町にも「帰る」「帰らない」の問題がある。みんな本当にどうすればいいかと思っている。帰ろうと考えている人にとっては、町に魅力がないと厳しい。震災をきっかけとして他県の人が福島県に関わるようになったので、そのことを逆手にとり、様々な地域から来た人に会える浪江町になったらいいのではないか。
○大堀相馬焼を復活させたいと考える方がおり、なかには町外で再開した方もいる。大堀相馬焼という町の文化を継ぐ方々に対し、長期的な支援を考えてほしい。
(浪江町内ですでに活動されている方、今後町内での活動や事業再開を希望されている方、復興まちづくり計画の策定にご協力いただいた皆さん)
○雨も降るし、自分は屋外で作業をしている。今後、浪江町は廃炉作業員の住む町になると思う。町民が帰還して住むためには、防災無線などで情報を出してもらうことが担保されるべき。いち早く、住んでいる人に情報を出す体制をつくってもらいたい。
○社会的弱者については,福祉避難所が必要。浪江町は、今回の震災で、障がい者の個人情報をいち早く開示したので、全国から応援に来た相談支援事業者が一人ひとり個別訪問できた。また近隣市町村も、これにならって同様の対応を始めてくれた。異常事態には、このような柔軟な対応をお願いしたい。
○津島地区では農業は再開できないとのことなので、現在は福島市に農地を購入して作付けしているが、やはり浪江町で農業をしたい。一人でも多くの人に戻って来てもらいたい。
○今後、事故が起こった場合、気象条件などを監視してもらいたい。情報をいち早く知りたい。現在、必ず小型ラジオを携帯しているくらいで、情報が最も欲しい。今日、いろいろな話を聞いて、これからが踏ん張りどころと感じた。今後、農業を再開し、安全な食で、健康な町(老人の町であってもいい)をつくりたい。
○巨大津波がおそった請戸地区では、転々と避難先を何度も変更した。南相馬市で水産加工業をしようと考えたが、町から再三の要請を受け、浪江町で実施することとした。80才からの再挑戦だが、なんとかがんばっていきたい。現在、試験操業をしているが、放射能は検出されていない。
○町民は情報が欲しい。町でも独自に検証することは当たり前だ。原発敷地内の情報をモニタリングポストで見られるのであれば、国や東電の連絡を待つのではなく、町から問合せをしてはどうか。原子力規制庁には、我々住民にとって何が大切かという観点で発言してもらいたい。
○一番心配なのは、東電の現状や、事故があった場合の対応。何かあったときには、社員をいち早く避難させたいと考えているが、これまで何かあった時に情報を知るのは夕方のニュースという状況である。人命を預かる身として東電の状況をリアルタイムで知ることができるシステムを作って頂きたい。
○円滑な避難に向けて、国道114号の拡幅を強く要望してほしい。
○東電には、現在、大量の汚染水が出ているので、汚染水対策をしてもらいたい。
○避難道路については、ずいぶん前から拡幅要望があったと聞く。それが拡幅されていれば、混乱状況にはならなかったのではないか。
○帰還にあたり、ドクターヘリの確保、非常食などの備蓄をしてもらいたい。
○復興委員会では、浪江町が双葉郡の北の玄関口になるという議論をした。我々町民も、極力、町に出かけてきたときに協力するので、玄関口になってもらいたい。
○もとは阿武隈山系の山林を伐採しチップ等に加工していたが、現在は伐採できない。海には試験操業があるのに、山には試験伐採はないのだろうか。国は伐採しないとのことだが、線量の下がった場所を伐採・除染し、少しずつ進められないか。
○住民には、原発で事故があった場合に直接我々に伝えられる手段を使い、速やかに伝えてもらいたい。従業員は14名いるが、放射線量を気にしている。
○震災で家族がばらばらになった。震災後、さまざまな会議に出席し、東電から資料をいただくが、今もまったく信用していない。資料は、まったく心に響かない。毎回、謝罪の言葉があるが、何に向かって謝罪しているのか。
○安心・安全はないと思っている。そこに原発がある以上、子どもたちを連れて浪江に戻る気はない。ただ故郷なので、見捨てるつもりはない。
○異常時における東電によるファクス着信確認方法はどうなっているか。職員を派遣するとのことだが、具体的にはどのような対応なのか。
○町の防災計画は、住民目線でつくっていただいた良いものだと思う。高齢者、障がい者など、多様な方にしっかり伝えて定着させることが課題である。東電や国の方には、役場職員も被災者であることを忘れないで対応してもらいたい。
○オリンピックの聖火ランナーも、原発・津波・地震被害を受けた双葉郡を避けるように通ると聞いている。ぜひ通っていただいて、現状を世界の方に知ってもらいたい。
以上、委員会で発言があった住民の皆さんの生の声を、委員会活動にとどめておくのはもったいないと思い、改めてまとめて紹介した。
とくに原発事故の原因者である国および東京電力は、これらの被災者の皆さんの声をしっかりと受け止めていただき、今後の対策に生かして欲しいと思う。
なかでも、住民の目線や立場に立った除染や各種の対応の実施、そして今後長期にわたり継続していく廃炉に係わるリスク情報の積極的開示、という意見は重要だと感じた。
また、線量が次第に低下しつつある今日の状況を踏まえると、もはや「帰還困難区域」という名称は、見直すべき時期となっているのではないか。たとえば、当面線量が高い区域は「帰還制限区域」、除染により帰還が見通せる区域は「帰還準備区域」などと、名称を変えていい時期に来ているのではないか。その上で、集落や公共・公益施設などが立地する重点地域から徐々に除染を進めることで、「帰還困難」というレッテルの前に、帰町をあきらめたり、逡巡している住民の皆さんに、多少なりとも希望がひらけるのではないか、と感じている。
参考資料: 浪江町「浪江町避難指示解除に関する有識者検証委員会」議事録 (第2回~第5回議事録概要)
http://www.town.namie.fukushima.jp/site/shinsai/11119.html
※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません
|