2016.5.20
  「新・観光立国論(2)」

                                総括支援アドバイザー兼教授 吉岡 正彦


 コラム「新・観光立国論(1)」に続けて、デービッド・アトキンソンさんの議論を紹介する。
 観光に関するインフラ(基盤整備)も圧倒的に不足している。最近は外国語の案内板なども増えてきているが、外国人の立場に立ってみると、まだまだ便利になっていないことが多い。
 たとえば玄関口になる成田空港では、出入国カウンターが日本人向けと外国人向けとなっているが、圧倒的に外国人カウンターが少ない。どんなに日本人カウンターが空いていても、係員たちから「こちらからどうぞ」と言われたことがない。
 また、空港と都心を結ぶ鉄道である成田エクスプレスも、終電は海外からの最終便が到着する前に終わってしまう。海外から入国する時点で、マイナスの印象を与えてしまっている。
 あるいは、JRの値段は高すぎるし、切符を買うのにクレジットカードが対応していないことが多い。日本(自国)の通貨しか使えない券売機は、先進国ではかなり特殊で、とくに地方都市ではとても多い。「ここは本当に技術大国なのか」と呆れてしまうのではないか。

 日本の連休日がゴールデンウィークなどの一時期に限られているのも、結果として観光地の一時的な混雑を招いており、もっと利用者の視点に立った観光国へ、大きく発想を転換しなくてはならない。
 外国語の案内板もまだ少なく、次の観光地までどれくらいの距離なのか、どういうルートで行くのがおすすめなのかなど、外国人観光客の目線に立ったきめ細かなサービスが求められている。
 結局、「客」を「客」として扱って満足させなければ、また来たいと思わないのは、世界の常識だ。

 以上に、日本が観光においては後進国であることを示してきたが、では、いったい何が足りないのか。基本はただ1つであり、外国人が楽しめる、充実した旅を提供するということだ。
 そのためには、多様な外国人観光客に対応した「多様性(ダイバーシティ)」という考え方が大切だ。外国人を呼び込むためにはこれをすべきというようなシンプルアンサーではなく、あれもこれもやる、という総合的な対応にシフトさせる必要がある。
 そのためには、サービスに差をつける発想も大切だ。格差をつけることは、客を差別しているのではなく、多様な客のニーズに対してきめ細かく対応することに他ならない。
 この点、北海道のニセコは、オーストラリアやニュージーランドからの観光客が多く、「リトル・オーストラリア」などと呼ばれるほどであるが、多様性の面で成功している。ニセコのスキー場のほとんどはライトアップスキーに対応しているほか、ナイトライフも充実している。
 長期滞在者用の別荘やサービスアパート、コンドミニアムも充実している。また、春、夏、秋には尻別川を下るラフティングを楽しむことができ、待ちの姿勢から積極的に外国人たちが金を落とす場所をつくっていることがうかがえる。

 これから日本が観光立国になるために、まず手をつけたいのは、文化財だ。世界的には権力者が変わると前の文化的な建造物などは破壊されてしまい残っていないことも多いが、日本ではさまざまな時代の文化財が残っている。
 現在、日本への観光客は、台湾、韓国、中国などアジア諸国に偏りがあるが、これらの国からの観光客をさらに増やすのも1つの選択だが、これまであまり来ていない国々からの観光客を増やすのも、これからの「伸びしろ」が期待できるので有利ではないか。

 JTB総合研究所が2014年に外国人旅行者に人気がある情報サイトを通じておこなったアンケート調査では、日本でもっとも楽しかった活動としては、「日本文化の体験」が第1位、「美しい景観を楽しむ」が第2位、「神社やお寺を訪ねる」が第3位となっている。
 そしてその支持層をみてみると、「日本文化の体験」や「神社やお寺を訪ねる」を支持しているのは、北アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアなどからの観光客である一方、「美しい景観を楽しむ」を支持しているのは、アジアの観光客がダントツで、大きな違いがある。
 このような傾向から、アメリカやヨーロッパからの観光客を増やすためには、日本文化や神社仏閣といった歴史的資産をしっかりと整備することが必要である。

 日本の文化財は、率直に言うとただそこにあるだけであり、まともに利活用されていない。文化財には、国民共通の財産という意味と、世界から観光客を呼ぶことができるコンテンツという意味合いがあるが、日本では前者の文化財の保護に力点があり、後者の視点が弱い。
 そして、外国人観光客を増やすためには、世界遺産などの指定を受けている文化財が果たしてきた歴史的役割などを説明する必要がある。文化財を楽しむためには、詳しい説明と展示が不可欠だが、簡単に施設名称の英語表記に終わってしまっているケースが少なくない。
 たとえば茶室の場合、たんに「tea-ceremony room」という表記があるだけで、茶室の使われ方や果たしてきた歴史的役割などが理解できるだろうか。
 その文化財の良さを理解するためには、やはりガイドによる説明やガイドブックの充実、多言語対応などが不可欠である。また、外国語への翻訳にあたっては、教養のあるネイティブによるチェックが望まれる。

 全体をまとめると、もっと「稼ぐ」ことを意識すべきだ。日本ではお金を使わせないように配慮することが「おもてなし」のように思われているが、それはちがう。好奇心や知識欲を満たしたならば、それに対する対価を支払ってもらうのは、当然ではないか。儲からなければ、外国人に訴求できるような魅力づくりができず、そうすると外国人観光客が増えないという悪循環に陥ってしまう。
 また、よく観光客が来ないのは発信力が足りないからだと考えがちだが、観光客が少ないのは、満足させるだけの魅力が足りていないということも考慮する必要がある。それらを改善しないで、全ての原因を発信力不足とするのは、まちがった対応になる。

 さらに町並みの整備が大切だ。美しい町並みが残っていると思われている京都でさえ、「町屋とビルがごちゃごちゃで統一感がない」という外国人の意見がある。祖国のイギリスでは、美しい町並みは、法律で守られている。町並みは自分たちの努力で、復元や改善ができることではないか。
 このように考えると、何をするにもお金が必要ということ。やはり自分自身で稼ぎ、自分自身で魅力ある文化財などを整備していくという自助努力が大切ということになる。
 いずれにせよ、日本は潜在力からすれば、観光大国になることができる力は十分にある。あとは、それをどう生かすかが問題なのだ。

 以上、筆者なりに概要をまとめてみたが、とても濃い内容なのでさらに興味ある方は、ぜひとも同書を手にとっていただきたいと思う。
 全般にわたり、日本人にとって、痛いところを指摘しているように感じる。とくに、筆者は最近のテレビ番組などをみているときに、日本の技術やおもてなしのすばらしさなどを過大に演出している番組が多いのではないかと危惧していたが、そんな手前みそな懸念に対して、著者は明快な解答を示していると評価したい。

 気になった点としては、基本的な姿勢として、客の要望に応えることがすべてというように読めたが、果たしてそれで良いのか。場合によっては、受け入れ側が、観光客に求めるような側面があっても良いのではないか。小さな一例としては、著者は日本の観光地にはゴミ箱が少なすぎることを指摘しているが、わが国では、ゴミ箱をつくらないことで、持ち帰ってもらうマナーを求めているのではないか。
 また、観光立国になるということは、果たして数字を追い求めることに等しいのだろうか。同時に、地域社会(観光地)の安定や調和などをも考慮しつつ進めるべきではないか。
 顧客追従そして数字第一主義に陥りそうな危うさも感じたが、全体にわたり、とても有益な示唆をいただいたことに感謝したい。

参考文献: デービッド・アトキンソン著『新・観光立国論』東洋経済新報社、2015年6月5日発行
https://store.toyokeizai.net/books/9784492502754/



※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません