先日、福島県中央にある浅川町を、はじめて往訪する機会に恵まれた。近くの石川町や棚倉町へは、公共交通に関する協議会などで何回か訪れているが、その間に挟まれて位置する浅川町には、なかなか訪れる機会がなかった。
町役場職員の研修に関連してうかがったのだが、町内を案内していただいたところ、興味ある町の宝物の数々と出会うことができたので、簡単に紹介してみたい。
まず、広大に整備された水田の美しさに感動した。このあたりの郡山から白河にかけて広がる平野は一大米作地帯であり、稲の葉の緑色と実りはじめた稲穂の黄色のコントラストが鮮やかだった。
また、東北自動車道やあぶくま高速道路、福島空港にも比較的近いこともあり、大手企業も進出する工業団地も発達している。
城山山頂付近から町中心部の眺望
観光資源として著名なものは少ないようだが、3万5千人が訪れるという「浅川の花火大会」は、特筆に値する。
毎年8月16日に行われる花火大会は、死者を供養する慰霊花火であり、一説には、今から約300年前の江戸時代中期に起きた一揆騒動で処刑された庶民の供養を起源としている。それゆえ、県内最古の伝統を持つ花火大会ともいわれている。
大小数千発を空高く打ち上げる通常の花火に加え、オリジナルな演出として「地雷火」と呼ばれる仕掛けがある。それは、打ち上げ場となる城山の山肌に、火山が噴火したかのように扇形の火花が次々とひらき、光の乱舞を見ることができる。
また、約15メートルの幅にわたり滝のように花火が流れ落ちる「大からくり」は、さらに連続点火されて全長200メートルにも広がる「浅川の滝」となり、会場がもっとも盛り上がる瞬間になる。この「大からくり」は、毎年、地元の青年会によりつくられている。
加えて、毎年元旦の午前0時より、除夜の花火と称して108発の花火が打ち上げられており、冬の花火としてユニークな催しとなっている。

地雷火(左)と大からくり (町のホームページより)
また、町の郊外にある貫秀寺の薬師堂には、県内では唯一といわれる弘智法印宥貞(ゆうてい)の即身仏(ミイラ)が奉られている。
宥貞は、1591(天正19)年に島根県に生まれ、全国各地で修行したのち、浅川町で観音寺の住職となった。当時、悪病が流行して多くの村人が苦しんでいたため、1683(天和3)年、弟子に寺を継がせ、村人を集めて薬師如来十二大願の説法を行ったのち、自らを悟り、「我身を留めて薬師如来たらん」
との言葉を残して入定し、同年、92歳の生涯を閉じたと伝えられる。
即身仏は全国に20数体現存するが、宥貞のように疫病治癒祈願のために薬師入定した例は、国内では類がないとのこと。茶褐色に光る即身仏とそれに付随する入定石棺、木棺および宥貞法印行状記は、町指定文化財となっている。
江戸時代初期のことになるが、当時の悲しい歴史を垣間見ることができ、文明が発達した現代に生きている幸せについて、考えさせられた。(即身仏を拝観するためには、役場に事前連絡が必要)

弘智法印宥貞(ゆうてい)の即身仏が奉られている貫秀寺薬師堂
これらに加えてもっとも興味を持ったのが、吉田富三記念館だ。「癌に挑んだ顕微鏡の思想家」とも称される吉田富三博士の名前は、知らない人も多いのではないか。
簡単に紹介すると、1903(明治36)年に浅川村(現浅川町)に生まれ、東京帝国大学医学部へ進学し、1932(昭和7)年に世界初の人工肝臓がんの生成に成功した。さらに、1943(昭和18)年には移植可能ながん細胞である「吉田肉腫」を発見している。
この癌細胞の発見が、その後の世界のがん研究に大きな発展をもたらし、今日まで、多くの医学者によって引き継がれている。
また、博士は、国語の改革にも力をそそぎ、明治初頭よりみられた漢字制限や漢字廃止の動きを阻止して、今日では当たり前に用いられている「漢字仮名まじり文」を、日本語表記の正則とすることを普及させたりもしている。
これらの功績から、2回の恩賜賞を受賞するとともに、1959(昭和34)年には56歳の若さで文化勲章を受章し、1973(昭和48)年に70歳で死去している。
さいわいにも内田宗壽記念館長による熱心な解説をお聞きすることができ、吉田博士の業績や才能のすばらしさを知ることができた。
浅川町では記念館を建設して、博士の偉業を後世に伝えているほか、吉田富三賞を創設し、毎年、がん研究に貢献した研究者を表彰することで、がん研究の振興に貢献している。
また、未来を担う青少年の科学教育の発展を期待して、1994(平成6)年より、子ども科学賞を創設して、県内の小学生たちを表彰しているのも、すばらしい活動だ。
吉田博士の業績は、がん研究というきわめて学術的・専門的な内容であることから、社会的な知名度はまだ低いように感じるが、野口英世博士のように、もっと注目されて良い福島県の偉人といえるのではないか。
ちょうど8月18日の福島民報に、下記のような記事が掲載されていたので、紹介しておきたい。
「吉田博士の功績 世界に発信 10月に世界がん会議日本開催50周年記念行事」
国際対がん連合(UICC)日本委員会は10月22日に世界がん会議の日本開催50周年記念行事を横浜市で開催し、浅川町出身でがん研究の先駆者吉田富三博士の功績を世界に発信する。
記念行事では吉田博士に関する講演会などを開く。同時に浅川町の吉田富三記念館は会議の資料などを展示する特別企画を実施する。
世界がん会議は、4年ごとに各国で開かれている。1966(昭和41)年に東京で開催された際は、吉田博士が日本委員長を務めて議論を主導し、7日間の会議を成功させた。60か国以上から4千人以上の研究者が集まった。日本の研究者が「がんは治療できる」という意識を高め、研究発展につながったという。(以上、要旨) 出典:福島民報 2016/08/18
吉田富三記念館の外観
もう一つ、浅川町にまつわる最近の話題として、「あさまるバーガー」がある。(あさまるとは、浅川町のイメージ・キャラクターの名前)
これは、浅川町商工会が2015(平成27)年に売り出したご当地バーガーのことで、具材には地元の豚肉(麓山高原豚)やトマトなどの野菜を使い、ブルーベリー味のソースによる味付けが特徴となっている。
筆者も試食してみたが、豚肉やベーコンにトマト、レタスそしてヨーグルト状のブルーベリー味のソースがからんで、今までに食べたことのない味でおいしかった。
あさまるバーガー
このあさまるバーガーについても、たまたま上記した同日の福島民報に、「あさまるバーガー」の第2弾が10月にも新発売、という記事が掲載されていた。
第2弾は、町内産の鶏肉やトマトなどを、ブラックココアを練り込んだ漆黒のパン生地で挟んだ自信作とのことで、発案した町商工会青年部は、新たな名産品にしようと意気込んでいるとのことだ。
筆者としては、さらに第3弾として、浅川町は米の産地であり肉用牛の飼育も盛んなので、パンを米に変えて、牛肉中心のビーフ・ライスバーガー仕立てにしてはどうか、と提案したくなった。
ハンバーガーによるまちおこしとしては、福島県周辺では桑折町で行われている「ふくしまバーガーサミット」が知られている。2013(平成25)年、B-1グランプリで優勝した浪江町(福島県)のなみえ焼きそばがそうだったように、優勝するとマスコミに取り上げられて知名度の向上が大いに期待できることから、このようなイベントに優勝するまで、しつこくチャレンジして欲しいと思う。
このほか、浅川町は城山公園や町民グランドの桜並木なども知られているが、以上に紹介したように多彩な魅力があり、今後の可能性に富んでいるように感じた。
半日足らずの視察ではあったが、花火大会やご当地ハンバーガーの開発に取り組んでいる青年会、消防団、商工会メンバーをはじめとして、町役場などがそれぞれの立場でまちおこしに頑張っている姿勢が伝わってきた。これからの浅川町の発展が楽しみだ。
(注)掲載写真は、花火関係を除き筆者撮影による。
参考文献:浅川町ホームページ http://www.town.asakawa.fukushima.jp/
※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません
|