2016.10.7
  「尾瀬湿原の保護に思う」

                                総括支援アドバイザー兼教授 吉岡 正彦


 2016年9月17日付けの福島民報新聞に掲載された、きつね色に輝く尾瀬沼・大江湿原の草もみじの写真を見て、自分の眼で確かめたくなり、尾瀬に出かけてみた。

 初夏には、水芭蕉の群落を見るために、群馬県側の鳩待峠から入り尾瀬ヶ原~尾瀬沼一帯を散策したことがあるので、今回は福島県側の沼山峠から入り、大江湿原を中心に散策した。今年は夏から台風が続いているため、天候が心配だったが、幸いにも雨に降られることなく、久しぶりに大自然のさわやかな空気を楽しむことができた。

 大江湿原は、尾瀬では尾瀬ヶ原に次ぐ広さがあり、7月下旬には黄色いニッコウキスゲが広がるが、秋になると一帯は草もみじに変わり、夏とは異なった景観を見ることができる。
 実際に一面に広がる草もみじは、新聞で見た写真と同様にみごとだった。いや、それ以上に、はるか後方にそびえ立つ至仏山(標高2,228m)や、東北地方で最も高い燧(ひうち)ヶ岳(標高2,356m)方面へと広がる奥行きを感じとることができたので、やはり現地ならではの迫力があった。
 加えて、周囲に広がる松・杉などの樹林によるみどり色、湖面に映るそら色がコントラストとなり、一枚の風景画を見るようでもあった。しばし都会の喧噪を忘れて、心身ともにリフレッシュすることができた。
 草もみじは、尾瀬湿原のなかでも、標高の高い大江湿原やアヤメ平などからが始まるので、10月上旬にかけては、標高が200メートル程度低い尾瀬ヶ原周辺でも楽しむことができる。
 

 
        尾瀬沼にうつる燧ヶ岳                  遠景に映える至仏山

それにつけても、尾瀬を訪ねると、今から40年以上も前にもなるが、自然保護運動の原点ともいえる道路建設計画に対して盛り上がった反対運動を思いだす。
 当時、尾瀬周辺に観光道路を通す計画が発表され、1963(昭和38)年には、尾瀬ヶ原に近い戸倉-鳩待峠間が開通した。また、1970(昭和45)年には、尾瀬沼の北東に位置する桧枝岐-沼山間の道路などが開通して、便利になった。しかし、この道路は、さらに尾瀬沼の南に位置する三平峠の頂上付近まで延伸する計画であった。
 この計画に対して、これ以上の延伸は尾瀬湿原の環境を破壊するとして反対したのは、長年、尾瀬に住み、尾瀬を守り続けてきた平野長英氏の息子の長靖氏だった。尾瀬湖畔に建つ長蔵小屋3代目小屋主でもある長靖氏は、急逝した父親の志を引き継ぎ、 建設阻止に奔走した。

 建設反対の署名集めなどが行われ、しだいに自然保護の機運が高まるなか、1971(昭和46)年に新しく誕生した環境庁(現在は環境省)大石武一初代長官は、長靖氏からの直訴や現地視察を経て、ルート変更という英断を下した。その後、この区間の工事中止が閣議で了承され、尾瀬沼周辺は開発から免れることができた。

 あの時、道路が延伸されていたり、あるいはそれ以前にあったダム開発計画などが行われていたならば、眼のまえにひろがる尾瀬の湖や湿原は消え去っていたか、あるいは、限られた狭い空間として姿を変えてしまったことだろう。
 その後も、マイカー規制やゴミ持ち帰り運動などを続けることで、尾瀬の自然は今日まで守られ続けてきた。あらためて、先人たちの自然保護にかける情熱や運動の重みを感じないではいられない。
 1995(平成7)年には、尾瀬のすぐれた自然環境の保全を目的とした尾瀬保護財団(平成25年4月に公益財団法人に移行)が設立され、積極的な保護・啓発活動などが行われて、今日に至っている。
 しかし残念なことに、現場ではこのような自然保護の歴史や経緯を説明する解説や表示などにはとくに気がつかなかったので、このような先人たちの功績を忘れることがないよう、もっと積極的に宣伝しても良いのではないかと思った。
 また、歩行路をネットワークしている木道の整備には、多大な手間と資金がかかることは容易に想像できるが、部分的に朽ち果てていたりして、危険と感じる個所が少なくなかった。
 かえって手間がかかるかもしれないが、子どもたちや若者らに広く声をかけてボランティア的な協力も得ながら、少しずつ補修を進めるような機会やイベントがあっても良いのではないか。そうすることで、国民の自然保護、環境保全への関心が、一層、高まるに違いないと思った。
      
     三平峠から尾瀬沼山荘にかけて               尾瀬沼山荘付近

 ひるがえって、このような自然保護あるいは環境保全の活動を、現代の福島県にあてはめてみると、やはり東京電力福島第一原発の事故により飛散した放射能汚染に対する環境対策が脳裏をよぎる。
 尾瀬の場合は、ダムや道路計画といった地域開発に対する自然保護運動であったのに対して、原発事故の場合は、放射能で汚染されてしまった自然環境や生活環境の回復(復旧・復興)という真逆の対応ではあるが、将来世代に禍根を残さない自然環境の保護・保全、安全安心な生活環境の確保という意味では、同じである。
 今日、直面している放射能汚染に対しても、この先何十年、何百年と続く将来世代や地球環境に対して、禍根を残さぬよう十分な対応、対策を続けていかなければいけない。

() 写真撮影は筆者による
参考文献:公益財団法人尾瀬保護財団ホームページ https://www.oze-fnd.or.jp/                 



※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません