2017.11.29
  「お弁当

                                              


 
日曜日の午後、小学6年生の末娘が白紙に何かを書き込んでいる。
 ちょっと気になったので、書き終わるのを見計らって何を書いていたのか聞いてみた。
 すると「明日はお弁当の日だから、メニューを考えてたの」と嬉しそうに話しながら、書き上げたものを見せてくれた。
 紙には「お弁当」のレイアウトが何種類か書かれてあった。
 学校に持って行く「お弁当」のおかずを何にしようか考えていたらしい。
 自分で作るのか聞いてみると、全部自分で作るとのこと。
 小さい頃から何かを作るのが好きな子で、私が料理をする時はよく手伝ってくれる。
 何かを作ることも、作るまでの過程も全く苦にならないようである。
 面倒くさがりな私とは大きな違いだ。

 娘が通う小学校では、年に2回程度、「お弁当」の日を設けている。
 学校から以下のようにコースが指定され、その中から自分でできそうな、自分がやってみたいコースを選んで、親子で一緒に弁当を作り、持参するというものである。

 ○親が作るのを隣で見ているというコース
 ○野菜を切ったり、親が作るのを手伝うコース
 ○1品だけ自分で作るコース
 ○全部、自分で作るコース

 自分が出来る範囲で弁当作りに参加できるよう工夫がなされているのである。
 娘は、「全部、自分で作るコース」を選んだことから、自分の好物でなおかつ、つくることができるものは何かで悩んでいたというわけである。

 しばらくすると、材料の買い出しを頼まれた。どうやら構想がまとまったらしい。
 買い物に行く時は必ずと言っていいほど一緒に行くのだが、そんな気配が全く無いので、「一緒に行かないの。」と尋ねると、
 「いろいろ準備があるから忙しい。」とのこと。家内と同じようなことを言っている。
 仕方が無いかと思いながらも、近くのスーパーで頼まれた食材を買い、家に戻ると、
台所では娘が弁当づくりの準備を始めていた。
 買ってきた食材を渡すと、ちびまる子ちゃん(毎週、必ず見ている。)そっちのけで料理に取りかかった。
 作っているところを見たかったが、じゃま扱いされるのが目に見えて分かっていたので、茶の間でテレビを見ることにした。
 テレビを見ながら、こたつの中で寝そべっていると娘がやってきて、目の前に餃子の皮と具の入ったボールを置いて、「今日の夕ご飯のおかず」、そう言って台所に戻っていった。

 どうやら夕ご飯のおかずは頼むということらしい。娘の期待に応えるべく、餃子づくりに奮闘し、具を包み終える頃には20時を過ぎていたと思う。
 さすがにお腹も空いてきたので、台所に様子を見に行くと、弁当におかずを詰めているところだった。弁当のおかずを作り終えて、最後の仕上げ、弁当箱に詰める作業。
 レイアウトを確認しながら、肉のそぼろ、餃子、さつまいもの茶巾しぼり、卵焼きを弁当箱に配置していく。でも、茶巾しぼりはちょっと意外だった。
 娘は、照れながら、ここが上手くできなかったなど話したが、その顔は満足しているように見えた。全部、自分で作ったことでの達成感があったのだろう。

 私が弁当で思い出すのは、運動会で食べたお弁当であり、今でも良く覚えている。
 運動会は昼食を挟んで行われ、弁当を持参して校庭にシートを広げ、家族みんなで食べるのが何よりの楽しみだった。運動が得意ではなかったため、なおさらだ。
 鳥の唐揚げやおいなりさん、ウインナーなど子供が好きな食べ物が並び、正直、運動会どころではなかった。隣の友達の弁当が気になったり、見せ合ったり、おかずを交換したりと懐かしい思い出がたくさんある。あれだけの量を作るのは大変だったと思う。親に感謝である。
 娘が通う小学校では運動会が昼過ぎには終わってしまうので、校庭でシートを敷いて家族や友達と一緒に弁当を食べることは無い。
 そんな中で「お弁当」の日は貴重であり、そのような機会があることはありがたい。

   弁当づくりを終えて茶の間に戻ってきた末娘はこたつに入りながら、
姉に「お姉ちゃんの弁当も作っておいたよ」と話しかけた。
 末娘が話すように、台所には自分の分と姉の分、2つの弁当箱が並んでいた。
 弁当はどこかやさしい気持ちにしてくれる。
 それは作る人の思いが詰まっているからだろう。

                           お弁当づくり、お疲れ様。

※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません