2018.3.14
  「復興まちづくりが進む浪江町」
                        総括支援アドバイザー兼教授 吉岡 正彦


 
2017年12月~2018年1月にかけて、福島県浪江町の健康関連施設整備検討委員会に、委員長として参加させていただいた。
 浪江町はほぼ一年前の2017年3月31日に、帰還困難区域を除く町の中心部が避難指示解除された。これを受けて、帰還した町民の皆さんの生活に身近な福祉・介護、運動・スポーツあるいはコミュニティの育成といった健康関連サービスは、町役場や町民の皆さんの努力により再開しつつあるものの、これらの拠点機能を果たす多くの施設整備はこれからである。
 このため、町民代表の皆さんが参加して、関連施設の必要性や優先順位の高い施設などについて議論をした。そして、2018年2月27日、その検討結果を町長に提言することができた(注1)。町長代理として受け取っていただいた宮口副町長からは、提言は前向きに検討し、一刻も早い実現をめざしたいとのあいさつをいただいた。

 筆者はこれまで浪江町とは、東日本大震災および原発事故後では、町の復興ビジョン(2012年4月19日公表)、復興計画(第一次)(2012年10月公表)、復興計画(第二次)(2017年3月公表)などの計画づくりに、継続的に係わらせていただいた。そして、この間の町の動きや復興状況については、これまでいくつかこのコラム欄で紹介してきた(注2)。
 今回は、さまざまな分野で活躍されている町民の皆さんと筆者を加えた13人の委員で議論したのだが、長期間にわたり苦労されてきたにもかかわらず、皆さんの意識の高さや前向きな姿勢に感動を覚えた。
 震災からおよそ7年が過ぎていることから、町の住宅や店舗、工場あるいは農地などのみならず、さまざまな公共施設も地震による被害や野生化した動物の進入による傷みなどにより荒廃しているものが多い。
 そこで、必要な施設の多くは新たにつくることになるが、新設するためにはどうしても時間がかかる。これから2018(平成30)年度に1年間かけて計画立案および設計をし、翌年の2019(平成31)年度に工事着工するとしても、完成・供用できる見通しは2020(平成32)年度以降になってしまう。
 そのような町からの整備案に対して、以下に列記するような意見が出た。

○福祉・介護施設はそのうちに必要になろうが、現在の帰還者は元気な方が多いので、できるだけ体を動かしてもらい健康を維持したい。
○現在、利用可能な状態に復旧しているスポーツセンターやふれあいセンターを核に、コミュニティが再生できる機能を確保したい。
○浪江小学校と隣接する中央公園は一体的に整備して、運動、イベント、交流機能などとして活用してはどうか。
○介護施設や集会場などの整備は、空いている学校施設を転用してはどうか。
○いろいろな施設や機能を有機的につなげることで、生きがいや環境づくりを進めたい。
○丈六公園は町民の心の故郷なので優先的に整備したい。その際には、みんなでコスモスなどを植えて、四季を通じて楽しめるように整備してはどうか。
○長年、町民に親しまれてきたパークゴルフ場は整備して欲しいが、初期投資や管理運営に人手が必要なので、居住人口が少ない当面はバードゴルフなど簡単な設備でも楽しめるのではないか。
○震災や故郷に関する紙芝居や語り部の活動ができる場所も確保して欲しい。
○ボルダリングやアスレチック競技など、広域から集客できそうなスポーツができる場づくりを進めて欲しい。
○町には駅伝の伝統があるので、そんなイベントを復活して欲しいし、マラソンコースがあるといい。
○学校のプールを釣り堀に転用して、生活が楽しめるようにしてはどうか。
○浪江に住むことに自信と誇りをもてるイベントができる場を確保して欲しい。
○歴史や文化を保存する施設や場所を確保したい。
○行政区対抗の運動会をやって、元気を取り戻したい。
○もともと農業が盛んだったので、野菜づくりを通じて町民の誇りを取り戻したい。
○郷土料理教室のような活動は、生活を楽しくするし産業振興効果も期待できるので、考慮して欲しい。郷土料理のコンテストをやって、優勝した作品を食堂や飲み屋でメニュー化して提供して欲しい。
○住民参加ができるしくみを考えるなど、利活用促進に向けたソフト面を重視したい。
○この計画を、町が自主自立していくきっかけとしたい。
○こうした活動を広く周知するために、広報大使を任命してはどうか。 等々

 全体をまとめてみると、住民の皆さんから、まずは日ごろの健康をどう維持していくか、今ある施設や活動、イベントなどをうまく活用したい。空いている学校や校庭を文化財の展示空間やコミュニティを育てる場などとして使えないか。あまり金がかからない町の伝統であった駅伝やマラソンなどのスポーツ・イベントを再開させてはどうか、などのアイデアに満ちた発言が相次いだのだ。
 つまり関連施設の完成を待つまでもなく、日ごろの活動やイベントなどソフト中心で町を盛り上げていこう、町が元気な姿を、積極的に情報発信していこう、そのためには、対外活動を強化しよう、などの多彩かつ建設的な意見が聞かれたのだった。

 筆者には、町の歴史や文化を踏まえつつも、全町避難した町の復興という新しいキャンバスに各人がそれぞれに楽しみながら色づけすることで、これからの生活をカラフルにデザインしていきたいという意気込みが感じられた。
 生意気な表現になるかもしれないが、一瞬にして町を荒廃地に変えてしまった大震災や原発事故に遇い、これまで長い避難生活を余儀なくされたことで、多くの町民の皆さんは、モノにこだわることなく生活を楽しむ術を身につけたということではないか。
 それは、与えられた環境のなかでも仲間とともに生活を楽しむ「共生の思想」とでも表現できる、静かではあるが不屈なパワーを身につけたのではないか。大震災と原発事故から再生しつつある町民の皆さんの力強い姿をみた気がした。

 改めて身の回りを振り返ると、このような姿は今後とも人口減少や少子高齢化が進み続けることで税収増が見込めない一方、高齢者の増加に比例して増え続ける医療・介護・社会保障費というように、満身創痍状態が予見されるわが国が、めざすべき新しい社会の姿(ビジョン)にも通じるのではないか、と感じた。
 最近、全国的に地域住民による自助や共助をうながす地域自治組織、地域運営組織などの存在や活動が注目されているが(注3)、わが国全体がこのような地域レベルでの自立を必要としているといえるのではないか。そして、以上に紹介したような浪江町の皆さんの考え方や活動は、その最先端にあるとも言えよう。

 ちょうど大震災直前の2011(平成23)年3月にまとめた、筆者も参加させていただいた浪江町のまちづくり計画には、2014(平成26)年度には、住民自治基本条例の制定をにらみつつ、行政主導から民主導による総合計画づくりをめざす「町が一体となったまちづくりの実現」が目標として描かれている(参考資料、P40)。
 もともと浪江町には、震災前から時代を先取りするようなチャレンジを進めてきた風土があったのだ。残念ながら東日本大震災と原発事故により、そのスケジュールは大きくズレ込んでしまったが、一年前に出された避難指示解除を受けて、いま再スタートできる環境が整いつつある。まさに新しいまちづくりは、これからである。

 久しぶりに訪れた町役場庁舎前に設置されている線量計を見ると0.06μSv/hと表示されており、安心できる放射能水準だった。
 そして、庁舎には明るく澄みきった青空のなか、さわやかな浜風にゆったりと揺れるように巨大な垂れ幕が掲げられており、筆者はしばらく見入ってしまった。そこには大きな文字で、次のように書かれていた。
 「新たな歴史の一ページを共に創ろう 再スタートなみえまち」。

(2018年2月27日、筆者撮影)

(注1) 浪江町健康関連施設整備検討委員会による「浪江町の健康関連施設整備に関する提言」(平成30年2月27日)は、整備イメージ図(鳥瞰図)などとともに町のホームページにアップされている。
http://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/17928.html
(注2)筆者による浪江町に関する本欄コラム
2011年10月14日付 「浪江町の復旧・復興に向けて」
2013年9月12日付 「浪江の復興まちづくり:その後」
2013年12月10日付 「浪江の復興まちづくり:その後(2)」
2016年4月20日付 「原発事故から6年目、浪江町民の声」
http://www.f-jichiken.or.jp/column/H28/yosioka251.html
(注3)近年における地域運営組織などの動きについては、下記の本欄コラムで簡単に紹介している。
2017年8月.23日付 「縮小ニッポンの衝撃」
http://www.f-jichiken.or.jp/column/H29/yoshioka%20300.html

参考資料:
浪江町健康関連施設整備検討委員会「浪江町の健康関連施設整備に関する提言」平成30年2月27日
福島県浪江町・財団法人ふくしま自治研修センター『浪江町協働のまちづくり検討委員会活動報告書』平成23年3月
http://www.f-jichiken.or.jp/tyousa-kenkyuu/kyoudou-tyousa/H22/22namie_01.pdf

※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません