2017.6.28
  「骨折坊や

                                          主任主査 仁後 篤比古


 
4月の末、小学校2年生の長男が右腕を骨折した。     
 妻から知らせを受けたのは、仕事を終えて正にこれから帰るというとき。     
 聞けば、自宅近くを友達と歩いていて転倒し、境界ブロックに強打してしまったとのこと。

 搬送先の病院でレントゲン写真を見せられたが、骨と骨が完全に離れ、ずれてしまっているのが、素人目にもすぐに分かった。     
 その後、夜7時過ぎから手術が始まった。「骨折の手術は30分程度で終わりますから」と聞いていたのだが、手術室から出てきたときには8時半を回っていた。
    
 術後の説明では、折れた部分を固定するために、針金を2本入れたとのこと。骨折によって右肘から下は「ぶらんぶらん」の状態のため、位置を慎重に調整した上で、針金を通したとのことだった。
    
 だが、ここからが、彼自身の痛みとの戦いの始まりだった。     
 「痛い!痛い!」「早く治してよぉ!!」と繰り返し泣き叫ぶ我が子。     
 痛み止めは出るのだが、飲み薬は2~3時間おき、座薬は6時間おき、と投与の間隔が決められており、痛がっても「次の時間まで我慢して」というのは、心苦しい。泣き疲れた末に眠ってしまったときの寝顔を見たときには、気の毒で仕方がなかった。
    
 私が夜の泊まり込み、妻が昼間の付き添い、の繰り返しの日々が始まった。     
 だが、2~3日も経つと痛みが収まってきたようで、テレビを見たり本を読んだりして過ごすようになり、ほっとした。
   
 普段、私は子どもを「猫可愛がり」はせず、多少の皮肉を込めて接することが多く、彼も「反撃」に転じることがよくある。    
 容態が落ち着いてくると、何となくお互いに「いつものやりとり」をするようになった。
   
私「今日の夜は帰ってもいいがい。付き添いくたびっちゃ。はあ。」    
子「だめだめ。パパは親なんだから僕の面倒を見るんだ!」

私「もっくんのせいで、5日もビール呑んでねえんだげんちょ。」     
子「いいの。いいの。パパは3月・4月に、いっぱいお酒飲んだんだから。」
    
私「ドジで間抜けな骨折坊やのせいで、今年の連休は台無しだわ。」     
子「骨折したのはパパのせいだ。パパが悪いんだ。」
    
私「もっくんの入院のせいで、金ねえはあ。」     
子「パパのお金は、僕が全部使ってあげるよ。」
    
子「病院の味噌汁おいしい。」     
私「なんで?」     
子「だって、うちのと違って、ちゃんと味がするから。」     
私「・・・そうか。」 
    
 それに、ある程度痛みが落ち着いてくると、妻に連れられて病室にやってくる妹(下の子)を疎ましく思うようで。
    
「ななちゃん。うるさい!」     
「あっち行って!」     
「もう帰ってよ!」
    
 兄に冷たく突き放されて彼女は大泣き。病室に響き渡る泣き声。
    
 こんなやりとりを繰り返している間に退院の運びとなり、連休が明けてしばらくしてから、また学校に行くこととなった。ランドセルは背負えないので、登校時は私が、下校時には妻が持ってあげている。     
 登下校時は親と一緒なので、本当は友だちと一緒におしゃべりしながら歩きたいのかな、と想像したりもする。
    
 6月半ばに都合3回目の手術を受け、ようやく針金が取れた。     
 今後は、ずっと固定して動きが硬くなった右肘と、完全に伸びきらない小指のリハビリが必要となる。小指の感覚が他の指に比べて鈍いのは懸念材料だが、まずは意のままに動かせるようにしなければなるまい。
    
 しばらくは、こんな朝が続くか。
    
 「準備終わったか?学校行くぞ。骨折坊や。」


※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式見解を示すものではありません。