2018.8.29
  「猛暑日の妄想
                                 主 幹 国分 敏明

 
 近所に、県内でも一位・二位を争うほど美味しいと紹介された行列の絶えない「ラーメン店」がある。命に危険を及ぼす猛暑日が続くときでさえ、肌を突き刺すような強い照りつけのなか並んでいる方がいるほどである。そこまでして並んでいるのを見ると、いつしか食べてみようかと思ってしまうから不思議である。
 個人的には、どうせ食べるなら美味しいものをという意識はあるものの、炎天下のなか並ぶくらいなら空いている店に入って空腹を満たすことを優先させてしまう方なので、どうしても「○△□屋の◎☆ラーメン」を食べたいという欲求に駆られなければ並んでまで食することはないかもしれない。

 それにしても不思議なのは、昔ならせいぜいご近所さんや地域の方の食事処程度でしかないお店が、なぜ行列の絶えないラーメン店として賑わっているかということである。
 「美味しさ」「オーナーやスタッフの姿勢」「雰囲気」等々の良き品質を保ち続けていることもさることながら、「クチコミ」や「マスコミに取り上げられた」とか、「インスタ映え」や「ツイッターでのつぶやき」などのSNSの存在があることは容易に想像できる。

 何か他人頼りのようで店選びの醍醐味が薄れてしまうような気もするが、様々な情報から自分の嗜好に合った自分だけのモノやコトを楽しむ風潮からすれば、「猛暑の中、並んで、冷房も効かない店の中で、汗をかきながら熱いラーメンをむさぼり食べる。その満足感は何ものにも代えがたい。」と、そんなストーリーを描き楽しんでいるようにも思える。
 何気ない日常の中で、「コト(食)前」を楽しみ、「コト(食)中」を楽しみ、「コト(食)後」を楽しむという素敵な楽しみ方を実践している方々なのかもしれない。
 コト(食)後、映像とともにどんなつぶやきをするのだろうか。意外と、「食べた~」「美味しい~」「達成~」といった本能の奥底に眠っているであろう原始的欲求を満たしたときの衝動的な言葉を発するのかもしれない。かえって「美辞麗句」「食レポ風」よりも信頼できそうな気がする。

 とはあれ、日々溢れるほどの情報に接し、有象無象の情報の中から必要な情報を取捨選択するにあたって、どの情報が信頼に足る情報なのか、または何が信頼のおけない情報なのかを判断することは、ますます難しくなっている。
 今や、誰もが「いいね」や「フェイクニュース」を瞬時にしかも世界中に発することができる。嘘か本当がわからないまま、あたかも世の中の大勢であるかのような伝わり方をしているものもある。

 本年5月、米フェイスブックが、人工知能などの技術を使い、1~3月に累計5億8,300万件の偽アカウントを閉鎖したとの報道があった。更に7月には、ツイッター社が、偽アカウントの一斉削除を行ったとの報道があった。
  https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30568350W8A510C1EAF000/
  https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32898990S8A710C1000000/
 人工知能に依存する社会体制が刻一刻と築き上げられている今日にあって、情報の真偽の判断を人工知能の処理に委ねる時代がもう始まっている。本人確認のような認証分野などは顕著である。

 人工知能については、各分野において、今後ますます話題となることが多くなると思うが、人工知能への判断の依存度が大きくなればなるほど、自分知能を頼りに「コト」の「前・中・後」をそれぞれ楽しみながら自分知能をさらに豊に形成することのできる施設が、案外、これからの賑わい施設となるかもしれない。
 

※ このコラムは執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式
 見解を示すものではありません。