2018.12.12
  「「歴史」は終わりのない物語」

                                主任主査 佐藤 つとむ


 
私は歴史が好きだ。
 生まれ故郷である飯坂温泉の地理・歴史に興味を持ったことがきっかけだった。
 祖父母に聞いた昔話。学校や図書館で読んだ本。実際に史跡を訪ねて感じた空気感。
 見聞きした昔の出来事、風景を思い浮かべ、目の前の景色と重ねていた子供時代。今思うと、子供ながらになんと渋い楽しみ方をしていたのだろう。
 現在の私は、書籍やインターネットで「虚偽真実ごった煮の情報」を仕入れては、自分なりの「仮説」をたて、他者の意見との違いを見つけては楽しんでいる。昔と比べて、ずいぶんと面倒かつ歪(ゆが)んだ楽しみ方へと変わったものだ。

 それはさておき、一般に「歴史」と聞くと、あなたはどういった印象を持つだろう。
 多くの場合、「暗記もの」「生きるうえで役に立たない知識」と思うだろうが、それは「勉強においての歴史」という狭い視点でのお話。
 「歴史」はただの記録にあらず。私は『成功と失敗を記した百科事典』だと思う。参考になる話もあれば、全く無駄な話もある。玉石混交・多種多様、選り取り見取りの内容だ。
 そこに記された出来事は、いわゆる「勝者の視点」だけで作られてはいない。敗者の視点、庶民の視点、外国の視点、後世の歴史家の視点など、数多くのものが混ざり合い成立している。   多くの視点から導き出された「最大公約数」的な話、つまり誰が見ても「そうだよなぁ」と納得できる話となっている。
 よって、歴史には多面性がある。暗記しただけで全てを知ったと思うことなかれ。

 年表に記されたひとつひとつの出来事は、例えるならば「一冊の本」のようなもの。本を開けば、そこには多くの情報が詰まっている。
 例として、「西暦1603年、徳川家康が征夷大将軍に就任。江戸に幕府を開く」という出来事を記した「本」を見てみよう。
 本のタイトルはたったの30字だが、これは出来事に関する膨大な情報を煮詰めて取り出したエッセンスの30字なのである。
 本を開く。そこには「西暦1603年」「徳川家康」「征夷大将軍」「江戸幕府」という目次が書かれている。
 最初の「西暦1603年」を見る。
 西暦1603年はどんな年? 和暦では何年? そのとき世界では何が起きた? 誰が生まれて誰が亡くなった?
 膨大な情報がどどっと押し寄せる。さらにこれらの情報は別の出来事と連動する。情報同士が反発や融合をしながら深さを増していき、無限に広がっていく。
 年表に記された、たったひとつの出来事のイチ項目だけでこの情報量なのだ。

 歴史はこれまたやっかいな事に、研究の進み具合で「事実」が書き変わる。
 真実が虚偽に、虚偽が真実に、あっという間に裏返る。

 皆さんが授業で習ったであろう、戦国時代の英雄・織田信長を例にしよう。
 かつて信長は「尾張の小大名で、東海地方の大大名である今川義元に押されていた」と書かれていたが、現在は「織田家は東海地方随一の経済力を持ち、今川と対等だった」と変わった。   負けた今川も、「公家かぶれ。織田を小物と油断したため、奇襲を受けて負けた」とされていたが、「文武両道の名将。用意周到で戦ったが、地形を利用した織田勢に乱戦に持ち込まれて負けた」となっている。
 当然のことだが、歴史は記す人によってもその内容はがらりと変化する。
 また信長を例にするが、彼の歴史を記した有名な書物が2冊ある。太田牛一の「信長公記」と小瀬甫庵の「信長記」だ。どちらも信長と同じ時代を生きた人物で、自らが見聞きした事を書いているものの、前者は「伝記」で後者は「軍記物」と、描写も評価も全く違っている。
 かの有名な桶狭間の戦いや長篠合戦も、文献や周辺情報の研究が進んだ今ではかなり印象が変わってきている。
 歴史は知らないうちに変化する。歴史に限ったことではないが、物事は覚えたら終わりではなく、更新が必要だ。

 『歴史に学ぶ』という言葉がある。ざっくり言えば、「経験できないことを知識として得る」という意味だ。
 先にも書いたが、歴史は『成功と失敗を記した百科事典』だ。知っておくと得することがあるが、一方で視野を狭くすることもよくある。
 歴史に学ぶということは、何でも過去の事例を真似することではない。
 歴史は繰り返すというが、それは過去の事例で対応して同じような結果が出たに過ぎない。   今を生きる私達にとって、過去の事例は必ずしも正解ではない。過去の事例から正解につながる考え方を見つける。これが大事なのだと私は考える。

 最後になるが、歴史は決して堅苦しい学問ではない。毎日の生活の中で自然と積み上がっていくものであり、日常を切り取って見るときの参考に使える「知識」のひとつと考えてほしい。   興味を持つきっかけは、いつでも自分のすぐ近くにある。地域の歴史。家族の歴史。あの人の歴史。そして、自分の歴史。
 「歴史」を知らない人生より、知っている人生の方が間違いなく楽しくなる。
 時間に余裕ができたらでいい。扉は常に開いている。ちょっとのぞいてみてほしい。

※ このコラムは、執筆者の個人的見解であり、公益財団法人ふくしま自治研修センターの公式
 見解を示すものではありません。